この句は、明治の俳聖正岡子規が明治28年当時の新聞「日本」の従軍記者として廣島に滞在中、海軍に従軍する同社記者古島一雄(一念)を見送って、3月9日呉軍港を訪れ1泊、その時の感懐を詠んだものです。 子規全集に「九日古一念を送りて呉港に遊ぶ。春雨粛々として分捕の軍艦三艘は浮び、無心の間、鴎は埠頭に飛び廻れり」と誌されてあります。 しかしながら詩情豊かなこの句の風情は、軍港以前、以後を通じ、変転流動極まりない歩みをつづけた呉港の盛衰にもかかわらず、今尚奇しくも永く生きつづけている感じがします。 これまでも屡々建碑の議がありましたが、実現せず、偶々明治百年を迎え、このたび呉俳句協会の好意により郷土史料館として生まれかわったこの地を撰び、昔の呉港を望む丘に、子規自筆の碑を建立。本市の文学史を飾るものとして、保存顕彰することになったものです。
呉市入船山記念館 |
明治23年(1890年)5月から明治24年(1891年)12月、海軍大佐東郷平八郎が鎮守府参謀長として呉に赴任しています。 東郷は在任中、呉鎮守府と呉工廠を見下ろす宮原地区に暮らしており、彼が自宅から鎮守府庁舎までの通勤で通った坂道は. 今も東郷坂として知られています。 この建物は東郷平八郎が暮らしていた屋敷の離れ座敷で、戦後、市民からの寄付を受け、呉東ロータリークラブの創立20周年記念事業として、昭和55年(1980年)に宮原地区から現在の地に移築したものです。 |
昭和62年(1987年)8月10日、「美術館通り」は日本の道100選に選ばれている。 |