俳 人

馬場存義

indexにもどる

江戸の人。別号泰里、李井庵、有無庵、古来庵。

 寛延3年(1743年)、蕪村、李井、百萬との歌仙。

   神無月はじめの頃ほい、下野の國
   に執行して遊行柳とかいへる古木
   の影に、目前の景色を申出はべる。

柳ちり清水かれ石ところどころ
   蕪村

   馬上の寒さ詩に吼(ほゆ)る月
   李井

茶坊主を貰ふて歸る追出シに
   百萬


 宝暦2年(1752年)、『反古衾』(雁宕・阿誰編)。李井序。百萬跋。

 宝暦3年(1753年)、存義は境を訪れる。

  二月三日

   首途

つくづくと春の日脚や杖の節

   堺着

  とし頃の望遂て月泉の扉に杖を休め、互の無異
  をうち物がたらふて、

漸春の土に手をつく柳かな
   阿誰

   餞別

青柳のまねくや影の見ゆる迄
   文楼

鞭捨て駒をとゞめよ門柳
   浙江

   留別

はし紙を文に残して帰る雁

『つえのふし』

 宝暦4年(1754年)、『つえのふし』(存義編)刊。

 安永4年(1775年)、『果報冠者』(閑鵞編)成立。伽羅庵百万序。無一居士跋。

天明2年(1782年)10月30日、80歳で没。

存義の句

   愛宕

止ば降る時雨の坂や五十町


今朝秋としらで門掃く男哉


写し絵の潮(ママ)湖なくらん遠千鳥


俳 人に戻る