俳 人
竹内勇水
下新田の人。名は徳往
(のりあき)
、通称源右衛門、屋号を岸屋と云い、代々宿役人であった。一桂庵。
可都里
『名録帖』
に「勇水
玉村
竹内佐七」とある。
享保13年(1728年)、生まれる。
明和3年(1766年)11月25日、
建部凉袋
は玉村宿へ。
末の九日、玉村なる勇水
(イサミ)
・青賀
(アヲホギ)
等むかへて、其所に行く。道はいと近きほどなり。をばな折れかへりたるかたへに、おくつきのあるを見て、
なき跡のさゝやかなるは子にかあるらん
『三野日記』
文化2年(1805年)8月、一桂庵勇水は
芭蕉の句碑
を建立。竹内勇水筆。
やすやすと出てゝいさよふ月の雲
文化9年(1812年)、85歳で没。
神楽寺東墓地に墓がある。
勇水の門人に
新町
の俳人小淵湛水がいる。
玉村八幡宮
に竹内勇水の句碑がある。
啼寿亭ゝ於裳飛奈計南留雉可那
啼きすてて思いなげなる雉
(きぎす)
かな
勇水の句
きりきりす案山子の袖の中に鳴
『蝉乃声』
かくれ家や一歩に得たる蚊遣種
『春秋稿』(第六編)
長き夜や杉の雫の地を穿つ
『古今綾嚢』
このページのトップ
に戻る
俳 人
に戻る