享和3年(1803年)3月9日、野村白寿坊は美濃へ旅立つ。美江寺の卓路を訪れる。
文化7年(1810年)2月、美濃派(以哉派)九世道統継承。
文政4年(1821年)、長府、田耕を訪れる。
文政6年(1823年)、雲左坊は松島行脚と途上友左坊を訪ねている。
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花洛の法務と松島を的にして、秋も菊
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の日かけて首途せしか、山遠く海長く
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越々て矢のことき光陰はや臘月も六日
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になん。友左宗匠の芳扉を敲き、先つ
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は風雅の繁栄と寒中の安泰とを寿き寿
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き
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| 雲左坊
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かほる無事や道の室咲とも仰き
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老してそ斯ふ冬籠るのみ
| 友左
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文政8年(1825年)3月、友左坊は筑紫行脚に発足。翌年12月26日、帰庵。
文政12年(1829年)、友左坊は木曽の棧に芭蕉の句碑を再建。
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棧や命をからむ蔦かつら
天保3年(1832年)6月、友左坊は美濃の落合を訪れている。
天保6年(1835年)、永観堂に野村白寿坊、岡崎風廬坊の句碑を建立。
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野村白寿坊
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岡崎風廬坊
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ほろほろと雨のふり出す枯野哉
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聞き給ふものなし雲に郭公
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天保7年(1836年)8月、浅野逸歩仙に道統を譲る。
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天保8年(1837年)、逸歩仙没。青木奚花坊は十一世道統を継承。
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美濃不破関跡に雪炊庵の句碑を建立している。

名月や雲有りてよしなふてよし
天保14年(1843年)3月、山本友左坊は獅子庵に11基の句碑を建立。
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恵那市の観音寺に芭蕉の句碑がある。

ほろほろと山吹ちるか瀧の音
碑陰に「応需 友左坊謹書」とある。
弘化3年(1846年)2月24日、90歳で没。
弘化4年(1847年)3月、青木奚花坊は京都の永観堂で友左坊の一周忌法要を営み句碑を建立。
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影もにほふかと思はれつ梅に月
昭和52年(1977年)7月、巣南町郷土文学研究会の高橋姿水は瑞穂市美江寺の瑞光寺に友左坊の句碑を建立。
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影も匂ふかとおもはれつ梅に月
瑞光寺は山本友左坊の菩提寺。
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