俳 人

工藤野松
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出羽久保田藩藩士。名は祐孝。通称は庄左衛門。吉川五明晩年の門人。

 文化元年(1804年)12月21日、野松は江戸に赴き本所相生町の一茶を訪れた。

   廿一日 晴 油 立川通御成

梅がゝやどなたが来ても欠茶碗

   野松来 冬扇来

   廿五日 雨 野松来 夜丑刻雷 始雪

『文化句帖』(文化元年12月)

   廿二日 晴 野松 二竹 一白来

『文化句帖』(文化2年正月)

文政元年(1818年)10月12日、67歳で没。

野松の句

粟の粒蝶に追はれて消にけり


見所のあはれは梅の二日かな


近付の夜にこそしたれ初蛙


三日月をおどろかしたる時雨かな


世の中の桜咲けり草の庵


気みじかに飛で戻てなく千鳥


あたらしき風が吹なり天の川


住ふるす月や今宵の八重葎


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