蕉 門
岡田野水
野水 岡田佐治右衛門、高津翁ト号ナス、尾州ナゴヤ大和町備前佐次右衛門、野水彦孫岡田尚興ト云、今ニ存ス。
『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿) |
万治元年(1658年)、名古屋に生まれる。 貞亨元年(1684年)、芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した時に『冬の日』の歌仙に参加している。 |
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 | 芭蕉 |
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たそやとばしたる笠の山茶花 | 野水 |
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有明の主水に酒屋つくらせて | 荷兮 |
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かしらの露をふるふあかむま | 重五 |
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朝鮮のほそりすゝきのにほひなき | 杜国 |
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日のちりぢりに野に米を刈る | 正平 |
貞享3年(1686年)、『春の日』刊。 貞亨4年(1687年)11月18日、荷兮は岡田野水と共に鳴海の知足亭に芭蕉を訪れる。 |
荷兮岡田野水 |
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十八日 | 桃青翁見廻ニ御こし |
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そば切打はいかい有 |
貞享4年(1687年)12月4日、芭蕉は蓬左の門人聴雪の亭に招かれて半歌仙。 |
四日はみのやの聽雪にとゞめらるゝその夜の會 |
筥根越す人も有らし今朝の雪 | はせを |
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船に燒火を入る松の葉 | 聽雪 |
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五六十布網干せる家見えて | 如行 |
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拐むれつゝ葭の中ゆく | 野水 |
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明るまでもどらぬ月の酒の醉 | 越人 |
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蔀々を揚る盆の夜 | 荷兮 |
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貞亨5年(1688年)8月11日、芭蕉が『更科紀行』の旅に発つにあたり、野水は餞別の句を贈っている。 |
あき風に申かねたるわかれ哉 |
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越人旅立けるよし聞て京より申つかはす |
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月に行脇差つめよ馬のうへ | 野水 |
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元禄6年(1693年)、丈草は故郷の犬山に帰る。去来は野水の案内で名古屋から犬山を訪れている。 元禄7年(1694年)、芭蕉は野水のもとで句を詠んでいる。 |
閑居をおもひ立ける人のもとに行て | |||||
涼しさはさし図に見ゆる住居(すまひ)哉 | 仝 |
『笈日記』(尾張部) |
野水翁麦喰ひしの句を短冊に書て送しかは |
何喰はぬ顔して居るや芦の鴈 |
炭うりもひとへ桜のあるじかな 腹のたつ人にみせばや池の鴛 さりながらむめにはじまる月夜かな 一色もうこく物なき霜夜哉 文時が帋のそりやはなのはる 一色もうこくものなき霜夜かな 見るものと覺えて人の月見かな 麦喰し雁とおもへとわかれ哉 麦喰し雁とおもへと別れかな 麥喰し雁と思へとわかれかな 松明に山ぶき薄し夜の色 具足着て顔のミ多き月見舟 木からしもしはし息つく小春哉 |