俳 人

筧水堂也柳
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各務支考の門人。筧水堂。秋田上堀自覚院の修験で、仙女と号した。

 享保14年(1729年)、美濃に支考を訪ねるが、支考は疝痛療養のため長良川畔に病床を移していた。

『秋田蕨』(也柳編)刊。仙里紅序。也柳自序。

 享保16年(1731年)2月7日、支考は67歳で没。

 元文2年(1737年)10月12日、支考の七回忌で秋田市八橋の不動院義仲寺の芭蕉墓前の土と蓮二の書状を埋めて「師資塔」建立。



正面 俳祖芭蕉翁 元文二年十月十二日
左面 中興蓮二師 □二年
裏面 二祖前寂支考叟

 延享5年(1748年)10月、画一庵許虹は也柳を訪れ、11月、「師資塔」に詣でる。

「師資塔」と並んで也柳の墓碑がある。



 筧水堂也柳
二名一躰
 之墓

 流泉堂仙女

宝暦7年(1757年)、建立。

也柳の句

から鮭よ枯たる木にも放生会


伍良は也柳の子。修験者。阿仏庵。

伍良は象潟を訪れている。

   象潟の眺望

我ための淡雪なれや蚶の景
   伍良


伍良の句

早蕨や村に一二の嫁むすめ


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