俳 人

飯田雨林
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 東金の人。飯田弥五兵衛正俊。白井鳥酔の門人。四時亭。伊能忠敬の縁戚に当る。

 寛保2年(1742年)秋、佐久間柳居は「戌の満水」で三斛庵を失い、鳥酔の郷里上総地引村に仮寓して両総を行脚。

   黒戸の浜雨林亭

木隠れて見残しかたき紅葉かな


 宝暦9年(1759年)7月、『壬生山家』(鳥酔編)。四時亭雨林序。

 宝暦13年(1763年)6月、松原庵成る。

  詞友巨梅子、松はら庵を見て歸り、其前庭の
  春色を聞ては我も共に遊ふこゝ地して

朝東風も百囀やまつの庵
 雨林

聲なふて空にあそふや鳳巾
 林鳥


 明和2年(1765年)9月、鳥酔は輕羽法師と雨月と共に常陸へ旅立。

百明坊は南總の藻友に招れて東金古城下へ徐歩す。文通

菊の香や段々細き水のおく
   百明

いなつまや舟呼聲の行違ひ
   雨林


 安永2年(1773年)5月、加舎白雄は銚子に向かう途次、飯田雨林を訪ねている。

東金の雨林老人が道にひさしき友たり。こゝに人もしるひと木ありて秋ごとに門外にみどりをなす。

おもしろの寝ざめまくらやこぼれ椎

『白雄贈答』

天明元年(1781年)、80歳で没。

雨林の句

柴橋の落て蜘手や杜若


逃水の上に連たつ胡蝶かな


一すしの水に影追ふ乙鳥哉


飛々に野の痩見せる雪解哉


かんこ鳥住ば都と答けり


いざ宵や目当の森にむかふうち


うろうろと鹿の出ありく桜哉


昼中の日に丸々と柳かな


林鳥は雨林の子

林鳥の句

ふり向は霞は青き若葉哉


庭掃の跡へまはるや落椿


流れては草に宿かる田にし哉


青柳や幾たひ鳥の向直


鶏のくだくちからや霜ばしら


うろうろと鹿の出ありく桜哉


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