俳 人
成沢雲帯
元文4年(1739年)、上田原町に生まれる。成沢七郎左衛門。万屋という呉服商。 |
上田連 | |||||||||||||||||||||||
雲帯 | 成沢七郎左エ門 |
安永9年(1780年)、雲帯は難波へ旅をしたようだ。 |
よど河をくだりて |
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あはせ着てなにはのかぜや船あがり | 信うへ田 | 雲帯 |
寛政2年(1790年)3月6日、雲帯は千代倉家を訪れて芭蕉の笈を見ている。 |
三月六日 快晴 信州上田町年寄成沢七左衛門、誹名雲帯笈拝見に来。
『千代倉家日記抄』(伝芳日記) |
たぐひなき笈や幾代の花かほる | 信州上田雲帯 |
『蕉翁笈拝見録』 |
寛政2年(1790年)3月13日、雲帯は松坂の本居宣長を訪れている。 |
三月十三日来ル ○信仍國上田町人 鳴澤七郎左衛門 俳人也 弟歌人ノ由
来訪諸子姓名住国並聞名諸子 |
寛政5年(1793年)、田上菊舎は上田で雲帯を訪れる。 |
茶道と俳諧に心をゆだね、花月の風流にのみ遊べるときこえし雲帯のぬしを訪れて たのしみてその奥ゆかし路次の蔦 |
享和元年(1801年)、井上士朗は江戸から帰る途中で上田に立ち寄った。 |
千曲川にそふて上田に入る。雲帯・如毛の二人を尋ぬ。 |
春風や椌(うろ)から散らす虫の糞 はる風や波ひたひたと艤(ふなよそひ・ふなもよひ) 明月や何ぞ問たき嶋の人 むらむらとしらむ尾上の桜かな めりめりと亀うく春の氷かな 夕川や万才渡る脛細し 声かれし鹿の姿を見たきかな 薄月やちどりのよせし水車 片里や普門品よむ秋のくれ 礒山やさくらちりゆく風のすぢ 寒月やすさまじきもの水車 卯花に捨松明のけぶり哉 前に落花うしろはわれにくるゝ鐘
虫歌観音堂俳額
月清しけふの命のやすからて 朝かけの梅まハらなる関や哉 梅が香のみだるゝ夜より散そめし 人生れ我老夏もきのふかな 朝風に襟垢寒しはつ桜 朝風や雪の難波の橋の数 かへしてる春の夕日や遠の山 むく起や梅見て慾は思はさる こからしや廣野のすゑのみしか山 野にをりて雨にぬれけり春の鹿 冬こもり朝の雀にゆふからす 降雨のいつをはてしの夜寒かな 面白ふあらし吹けり松の月 野こしする人のうしろや春の風 横雨を百合の莟のふくみけり 竹の中風もおぼろとなりにけり 夕影や霞きはまる竹のおく 丸くなる夜雨の月や梅の花 山寺の鐘撞にゆけ鳴子引 寒あけの朝寝を起すとなり哉 啼雲雀御嶽に靄のかゝりけり 初雪や老は物にも飽やすき はつ雪やふかるゝ鴦の草かくれ 仮ならぬ仮につくれと川社 竹うゑし日もなつかしや初しぐれ 何事を我に告るぞ秋の鳥 朝風の月にかゝるや帰る雁 雉子啼や山をはなれし夜の雲 植かへし竹より秋の夕かな 後の月鳥ともならで啼鼠 あさがほやおもへバ花のさき過し 陽炎やきのふすげたる木履の緒 竹にふる雨や月夜のかたつぶり 雨ばれや小はぎがもとの門あかり |