俳 人

幾暁庵雲蝶

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 伊勢山田の人。各務支考、後中川乙由に師事。別号春波。星見庵。安楽坊。

 享保21年(1734年)2月、俳諧聟引出集』(沙白・非吹編)。安楽坊春波序。

 元文(1736−41)の初めから延享4年(1747年)まで11、2年の間、九州一円を俳諧行脚。

 寛延2年(1749年)6月18日、金沢に入り希因を訪ねる。高岡で越年。

 寛延3年(1749年)、冨山の麻父、滑川の知十を訪ねる。

 寛延4年(1751年)、俳諧百合野集』(幾暁編)刊。

宝暦6年(1756年)4月11日、63歳で寂。

金沢の法船寺に葬られた。

 明和5年(1768年)4月12日、杉浦麻斤は盛岡の天満宮に芭蕉塚を建立。

芭蕉塚


古池や蛙とびこむ水の音

左右に東花坊と幾暁庵の句が刻まれている。

右 梅花開一重に彌陀の彼岸哉
   東花坊

左 居らんとして烏の行衞かな
   幾暁庵

北九州市の安国寺に「西華房・幾曉菴」と刻まれた碑がある。


幾暁庵の句

宿広き我木の下や門の松


はね明て乾かぬ苫や朧月


神代には塗た物なし梅の花


鶏の声にちりけり桃の花


言はぬ夜や音あるものは皆寒し


扇もて尺とる松の下すゞみ


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