俳 人
生方雨什
上毛 | 高崎九蔵町 | 生方惣兵衛 | 雨汁 |
宝暦13年(1763年)6月、松原庵成る。 |
仰向て梢の見へぬやなき哉 |
明和3年(1766年)2月中旬、袋村の川鍋家で句会。 |
ぬけられて小うなりぬこてふ輪 | 鳥酔 |
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我もかすまん野つづきの道 | 雨什 |
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芳しき草刈の笛をちこちに | 千杏 |
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火ともし時の唯しづかなり | 白雄 |
明和3年(1766年)4月10日、千杏没。 |
夏柳動かぬものとなりにけり |
安永4年(1774年)春、鳥酔の七回忌で生方雨什ら四卉庵連は萬日堂に涅槃句塚建立。 |
安永9年(1780年)10月12日、大磯の鴫立庵に芭蕉の句碑を建立。雨什の句が刻まれている。 |
寛政2年(1790年)10月12日、生方雨什は義仲寺の「しぐれ会」に参列している。 |
一坐捻香 |
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上毛高崎 |
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旅にやまて其跡とひぬ枯尾花 | 雨什 |
寛政4年(1792年)、一宮如寉は芭蕉の句碑を建立。平花庵雨什筆。 |
寛政8年(1796年)8月、生方雨什は高崎を立って信州の旅をする。 |
寛政10年(1798年)、一宮如寉は連句碑を建立。平花庵雨什筆。 |
山陰や夕日にぬるゝ秋の霜 | 雨什 |
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きはむ木立のひまに薄月 | 如寉 |
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つえしらへ大宮人のめてつ風 | 烏明 |
寛政11年(1799年)、烏明から松露庵を譲られる。 寛政11年(1799年)、『ひとゝせ草』刊。 寛政12年(1800年)8月、大江丸は江戸に下る。 |
又平花も筆をとりて、 |
大木戸の雨に秋なしたび迎 | 雨什 |
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八年ぶりに八ツ山の月 | 大江 |
享和3年(1803年)8月、富岡八幡宮に雨什の句碑を建立。春蛾書。 |
月雪花のながめはさらなり |
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奥深しほととぎすにも富ヶ岡 |
『海内俳家人名録』に「心足 一号平花庵又白檮蔭又白髭翁上毛高崎 高井左衛門太夫」とある。 |
風にして寐た夜はおしゝ初時雨 行々て花に鳥なし山桜 飛込て水のものいふ蛙かな 梢から塵のはしめや今朝の秋 戻る時手毎に白し山ざくら 市中に此神の木の落葉かな はつ雪やきのふは市の朝ぼらけ 霧たつや梢は近き猿の声 をりて来て入日誉けり峰の花 松かさの落てひさしき氷かな きしの聲葉のなき桑の木陰より 白々と滝の落こむかすミ哉 やうやうに山茶花咲る小庭かな 碑の面ふりぬけふまて幾しくれ 猫の戀ある夜ハ石をうたれけり あまの川月入すます杉の上 猫のこひある夜は石を打たれけり 猫の恋ある夜は石をうたれけり 月かさや花見ぬ梅の匂ひ来る 萬歳の烏帽子はつれの白髪哉 稲ふねや早苗つみしもきのふけふ 花寒し清水岩もる夕月夜 後の月遅ざくらよりあはれなる 鶏頭の露しみ込んで仕廻けり |