俳 人

石川雨十
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木更津の大名主石川八郎右衛門。

 文化元年(1804年)10月23日、一茶は雨十に逢う。25日、雨十と浅草観音に詣でる。

   廿三日 晴 曇 逢雨十

   廿五日 雨 与雨十詣浅草観音

散木葉ことにゆふべや鳩の豆

木がらしの吹留りけり鳩に人

   おく山茶店にて

初紅葉どれも榎のうしろ也

『文化句帖』(文化元年10月)

浅草寺五重塔


一茶と雨十は浅草観音から正統寺を訪れた。

   正統寺にて

散紅葉流ぬ水は翌のためか

『文化句帖』(文化元年10月)

正統寺


同年11月30日、一茶は雨十に依頼して選擇寺へ手紙を出している。

十一月卅日出
一書一通 キサラヅ迂択寺 雨十子へ頼


同年12月23日、一茶は雨十に手紙を出している。

十二月廿三日出
一書一通 富津入 大(木)更津雨十 会所喜四郎殿へ出


 文化2年(1805年)2月6日、12日、一茶は雨十に手紙を出している。

二月六日
一書一通 木更津雨十 江戸橋会所喜四郎殿へ渡ス
二月十二日
一書一通 木更津雨十 江戸橋会所喜四郎殿へ渡ス

同年4月23日、一茶は雨十と根津神社に参詣したようだ。

根津神社


   廿三日 晴 根津開帳参詣雨十 一茶

『文化句帖』(文化2年4月)

 文化3年(1806年)9月17日、一茶は雨十と祗兵に手紙を出している。

九月十七日
一書一通『東鑑』入 木更津雨十 祗兵子へ出ス


 文化4年(1809年)3月7日、小林一茶は春里、雨十と浅草を始め、江戸市中の寺社巡りをしている。

 七日 晴 春里、雨十と浅草巡。白金町、白幡イナリ、筋違相生橋、スルガ台太田姫神田[明]神、湯島、上野大石灯籠、寛永八年十月十七日佐久間大膳亮勝之トアリ。大良(郎)イナリ、七軒寺町東陽寺[手]向野アリ。

『文化句帖』(文化4年3月)

上野大石灯籠


 文化6年(1809年)3月6日、一茶は東岸寺で藤見物をして句会を催した。

雨十も句会に参加したようだ。

   東岸寺藤勧進

藤棚やうしろ明りの草の花
   一茶

石なごの玉にもかかれふぢの花
   雨十

『文化三―八年句日記写』

東岸寺に一茶の句碑がある。


藤棚やうしろ明りの草の花

小林一茶房総行脚の途中で「石川ニ入」とあるのは、雨十宅であろう。

十三 夜小雨 石川ニ入

『七番日記』(文化8年7月)

五 晴 石川ニ入

『七番日記』(文化12年12月)

雨十の句

あれしきの家も煙るそ鳴く蛙


麦畑のひくみのさくら咲にけり


帰り花人なつかしう咲にけり


霞む日や田中の松も祭らるゝ


ひよ鳥の見えてはや鳴はつしぐれ


暁やまたあらためて遠きぬた


石なごの玉にもかゝれふぢの花


あれしきの草さへ虫の世也けり


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