蕉 門
長谷部桃妖
延宝4年(1676年)生まれ。加賀山中温泉の旅宿「泉屋」の当主久米之介。通称は甚左衛門。別号桃葉。 |
元禄2年(1689年)、芭蕉から桃妖の号を贈られた。14歳の時である。 |
加賀山中桃妖に名をツけ玉ひて 桃の木の其の葉ちらすな秋の風
『泊船集』(風国編) |
元禄2年(1689年)8月5日、山中温泉最後の日に芭蕉が桃妖に書き与えた別れの句である。 |
元禄9年(1696年)、竹内十丈は山中温泉に桃妖を訪ねている。 元禄10年(1697年)、惟然は山中温泉を訪れている。 |
山中の桃妖子ははせを行脚の折か |
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ら桃の一字をゆつりたまひけると |
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や。されは其したしみもあさから |
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ねは |
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爰にはや馴て幾日そ蚤虱 | 惟然 |
元禄13年(1700年)、雲鈴は桃妖の許に数日滞在している。 |
此の地の桃妖が許に、先師しばしの吟胸をやすめられ けるとなん。予も此の亭に日数を経ぬ。大聖寺より厚 爲のぬし、方水・美均を伴ひ、尋ね申されける。 侍の道行見たるさくら哉 |
元禄14年(1701年)、支考は桃妖亭を訪れている。 |
此地に十景あり。先師むかし高瀬の漁火といふ題をとりて、 かゝり火にかしかや波の下むせひ 今宵桃妖亭に此句を評して曰、かゝり火におとろかす魚はあまたありなから、むせふといふ一字によせていはゝ、小海老・河鹿の外あるまし。一句のたましゐを見るといふは此あたりなるに、鮎も鰻もおなし心なりとおもふ人には、ともに誹諧をいひかたし。 |
元禄16年(1703年)10月9日、浪化は33歳で没。 |
九字十字君か二字こそ神無月 |
享保6年(1721年)、露川は門人燕説を伴い桃妖を訪ねている。 |
湯本の山中に移る。主の桃妖子と紙面 |
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に談(マゝ)る事廿余年、其宅に入て雜 |
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話の口を失ふ。 |
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五月雨の爰ぞ噺の無盡藏 | 居士 |
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何某長氏は先師授名の門人、四十有餘 |
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にして流行に後れざるは、是桃妖の二 |
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字むなしからざる物か。 |
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植られて涼しや竹の獨だち | 無外 |
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享保11年(1726年)、魯九は陸奥の旅の途上、山中温泉を訪れている。 |
加州山中 |
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気晴ては風の若葉や裏表 | 魯九 |
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初雪や匂ひの失ぬ其あい(ひ)だ | 桃妖 |
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寛保3年(1743年)9月19日、燕説は73歳で没。桃妖は追悼の句を詠んでいる。 |
咄の声はかり名残や秋の風 |
寛延2年(1749年)、幾暁は山中を訪れる。 |
山中 |
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武矩主は貞室叟に教へ、桃妖主は |
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祖翁に習ふ。 |
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松高き風にさらすや蝉の衣 | 幾暁 |
柴人の昼寐をからむ蔦かづら かけろふに虚空のうごく朝日哉 すゞむしの啼そろひたる千ぐさ哉 ひたひたと落葉地につく時雨かな 菊の香や何かにうつる小盃 線香の火にもとりたる螽かな 澁柿も淋しき秋の相手かな 深草をわするな籠に啼鶉 葛城や松のはえ込雲の峰 一聲やあたまをさゆるほとゝきす 胡鬼の實にいさ月見せう山住ひ 切麥のまちかね山やほとゝぎす かけあふた秤のうへや二つ星 鶯のひなやうたふて巣のわかれ |