俳 人

根津桃路
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本名根津五郎右衛門。大島蓼太に師事。可楽庵。

 一茶の『知友録』に「同(越後) 十日町 根津其左衛門 桃路」とある。

 可都里『名録帖』に「桃路 根津五郎右衛門」とある。

 宝暦4年(1754年)5月24日、横田柳几は新潟に旅立ち桃路亭を訪れる。

 安永6年(1777年)6月、松村篁雨は草津温泉で桃路に会っている。

   とし頃名に聞し桃路雅伯にま見へて、風談の間
   もなく我ハこし路へ袂をわかちぬ

面白ひものハ短し夏の月


 寛政2年(1790年)、『華鳥風月集』(桃路編)刊。完来序、闌更跋。

 寛政4年(1792年)6月12日、桃路は芭蕉の句碑を建立。『華鳥風月集』を供えて芭蕉翁百年遠忌を営む。



芭蕉翁

碑陰に芭蕉の句が刻まれている。

春もやゝけしきとゝのふ月と梅

『諸国翁墳記』に「梅月塚 越後十日町 可楽庵桃路建」とある。

桃路の句

卯の華や下て消えたる鷺一


城あとに夢を築し桜哉


諷ふ有恨声有り野路の虫


黄鳥啼おふせては尾のうごく


けふの月見つめてしはし露けり


こからしのすんすと吹や町の中


女子衆は花見にやりて庭桜


凍とけや道をまはりて梅を見す


水鳥の羽ふすまうツや朝嵐


出代やもとの情に立かへる


ワか草や雉子のかくるゝかけ浅き


おぼろにはおよばぬ物よ三日の月


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