俳 人

東 阿

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吹上の人。

 明和3年(1766年)4月10日、千杏没。

身の上を知た覚悟や夏書迄


 安永8年(1779年)、加舎白雄は東阿を訪れている。

   東阿あざりがもと(を)とひて

咲(き)しより冬野(を)越(え)てとひし梅


東阿は僧職であったようだ。

鴻巣市小谷の日枝神社に句碑がある。



咲きしより冬野を超てとひし梅

国道17号沿いの水辺公園に東阿の句碑がある。


水底の照る見る空か天の川

水辺公園にもう1つ東阿の句碑がある。


稲の花里は般若の風祭り

東阿の句

聞く人の角ハ折れけり鹿の聲


蜘のとるや常にハ憎き蠅なれと


橋もりのゆめの間を霜のわかれ哉

すが蓑のみのかひなしや雪し巻


鶴とゝもにゑぐなつむべき田面かな

いねのはな里は般若の風まつり


   淵明の五柳はしらず

青柳やたれのがれすむ村はづれ


   我すめるあたりにふる川といへるあるを

ふる川に神輿をあらへ里わらは


うらおもて貝多羅(ばいたら)わかぬわか葉かな


「貝多羅」は多羅樹の葉。古代インドで文字を記すのに用いたもの。

転じて、書物・記録の意。また、仏教経典の意。

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