蕉 門
坪井杜国
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 | 芭蕉 |
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たそやとばしたる笠の山茶花 | 野水 |
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有明の主水に酒屋つくらせて | 荷兮 |
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かしらの露をふるふあかむま | 重五 |
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朝鮮のほそりすゝきのにほひなき | 杜国 |
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日のちりぢりに野に米を刈る | 正平 |
抱月亭 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
市人にいで是うらん笠の雪 | 翁 |
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酒の戸をたゝく鞭の枯梅 | 抱月 |
是は貞享のむかし抱月亭の雪見なり。おのおの此第三すべきよしにて、幾たびも吟じあげたるに、阿叟も転吟して、此第三の附方あまたあるべからずと申されしに、杜国もそこにありて、下官(やつがれ)もさる事におもひ侍るとて |
朝がほに先だつ母衣を引づ(ず)りて | 杜国 |
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と申侍しと也。されば鞭にて酒屋をたゝくと |
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いへるものは、風狂の詩人ならばさも有べし。 |
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枯梅の風流に思ひ入らば、武者の外に此第三 |
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有べからず。しからば此一座の一興はなつか |
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しき事かなと、今さらにおもはるゝ也。 |
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おなじ比ならん、杜国亭にて中あしき人の事、 |
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事取りつくろひて |
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雪と雪今宵師走の名月歟 |
『笈日記』(尾張部) |
芭蕉翁をおくりてかへる時 この比の氷ふみわる名残かな |
貞享2年(1685年)、杜国は罪を得て伊良古に追放された。 |
貞享4年(1678年)11月10日、芭蕉は『笈の小文』の旅の途中で越人を伴い保美(田原市)に杜国を訪れんと吉田に泊まる。 |
越人と吉田の駅にて |
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寒けれど二人旅ねぞたのもしき | 芭蕉 |
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貞亨4年(1687年)、芭蕉は杜国に句を贈っている。 |
しばしかくれゐける人に申遣す |
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先祝へ梅を心の冬籠り | 芭蕉 |
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貞亨5年(1688年)、宗波と杜国は伊賀上野に芭蕉を訪ねている。 |
元録元辰のとし、此春武藏野の僧宗波、美濃杜國伊賀に來り、杜國は萬菊と改名して、和州行脚に伴ふ。 |
乾坤無住同行二人 |
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よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠 |
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よし野にてわれも見せうぞ檜の木笠 | 万菊丸 |
翁に供(ぐせ)られてすまあかしに |
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わたりて |
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亡人 |
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似合しきけしの一重や須广の里 | 杜国 |
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元禄元年(1688年)、野人と改号。 元禄3年(1690年)1月17日、芭蕉の万菊丸宛書簡がある。 |
いかにしてか便も無二御座一候、若(もし)は渡海の船や打われけむ、病変やふりわきけんなど、方寸を砕而已候。されども名古屋の文に、御無事之旨、推量に見え申候。拙者も霜月末、南都祭礼見物して、膳所へ出越年。歳旦、京ちかき心 薦をきて誰人ゐ(い)ます花の春 冬 初時雨猿も小蓑をほしげ也 山中の子供と遊ぶ 初雪に兎の皮の髭つくれ 南 都 雪悲しいつ大仏の瓦ふき 京にて鉢たゝき聞て 長嘯の墓もめぐるか鉢たゝき 歳 暮 何に此師走の市にゆく鴉 急便早々に候。正二月之間伊賀へ御越待存候。宗七も御噂申斗に候。 |
正月十七日 | はせを |
万菊丸様 |
元禄3年(1690年)5月17日、其角は杜国の死を越人から聞いて、句を詠んでいる。 |
いらごの杜国例ならで、うせけるよしを越人より申きこへける。翁にもむつまじくして、鷹ひとつ見つけてうれしと迄に、たづね逢ける昔をあもひあはれみて |
羽ぬけ鳥鳴音ばかりぞいらこ崎 | 角 |
元禄4年(1691年)4月28日日、芭蕉は杜国の夢を見ている。 |
二十八日 夢に杜國が事をいひ出して、悌泣して覚ム。 |
麦はえて能隠家や畑村 | 芭蕉 |
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冬をさかりに椿咲く也 | 越人 |
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昼の空のみかむ犬のねかへりて | 野仁 |
洗濯の袖に蝉鳴夕日かな 似合しき芥子の一重や須磨のさと 霜のあさせんだんの実のこぼれけり 八重霞奥迄見たる龍田かな 曙の人顔杜丹露にひらきけり |