俳 人

橋本泰里

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姉の古友と共に馬場存義に学ぶ。河上庵。存義二世。

 寛保元年(1741年)、江戸深川の旧家に生まれる。

 明和6年(1769年)10月21日、橋本泰里入洛。『五畳敷』を刊行。

   泰里が東武に歸を送る

嵯峩寒しいざ先くだれ都鳥


 安永9年(1780年)4月8日、蝶夢は泰里を訪ね泊まっている。

また泰里の隠家をもたづぬ。其家にとまりてこよなく語るとて、「ことしは杜宇の遅くていまだ聞ず」といふに、

   江戸でさへまづ一声やほとゝぎす

かゝるよしなし事いひて、其夜は明ぬ。


 天明8年(1788年)4月3日、蝶夢は泰里・古友に会う。

 三日、深川河上庵泰里・古友のもふけに、和尚・重厚・其由と共に会す。和尚、ほ句に、

   悠然と春行みづやすみだ川

とし給ふにつゞけて俳諧に遊ぶ。


 天明8年(1788年)4月17日、蝶夢は橋本泰里の案内で仙鳥宅に泊まっている。

 星の井の辺り、坂下三左衛門とて此辺の剛家と見えしも、泰里庵主の文の案内によりて留らる。家主の老女は、仙鳥といふ風流の人なり。けふや見残せし所々まめやかに案内ありて、再古跡を見廻る。夜に入て此家に泊る。


 享和2年(1802年)4月6日、仙鳥没。

   星の井安斎氏仙鳥ぬし
   卯月六日に往生したまふと
   藤沢よりしらせけるにうち
   おとろきて

先へ散る花尊しや芥子畠
   泰里


文政2年(1819年)1月25日、79歳で没。

泰里の句

関の戸に秋風はやし麦畠


万歳に其名呼せよ口ひらき


貯し菊折くべんをけらの夜


百とせも朽ぬ名や枯尾華集


江戸に生れ男に生れはつ松魚


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