俳 人
中村碓嶺
碓嶺 本町一丁目北側 大中庵ノ裏 小蓑庵 |
安永9年(1780年)、坂本宿中宿で代々旅籠を営む「中村屋」に生まれた。姓は仁井田であるが、中村を名乗る。 享和2年(1802年)、長翠は酒田に移住。碓嶺は小蓑庵二世を継ぎ、江戸本町に小蓑庵を結ぶ。 文化9年(1812年)、碓嶺は上田の岡崎如毛を訪れる。 文化13年(1816年)、『あなうれし』(碓嶺編)道彦序。長翠追善句集。 文化14年(1817年)、碓嶺は熊谷に草原庵を構える。 文化14年(1817年)8月15日、碓嶺は虎杖庵を訪れ、姨捨山で観月。『さらしな記行』 文化15年(1818年)、『古今俳人百句集』(甲二・米砂・呂律編)刊。金令舎道彦序。九十九房碓嶺跋。 |
文政2年(1819年)、『續の原』再梓。 |
つゞきの原は、貞享二年丁卯の春の撰集にして、花鳥風月の栞なりしを、いづれの歳か板うせて、今は表題のみ殘れり。 |
文政9年(1826年)3月、世良田の志塩、梅雪、兎月ら20名が芭蕉の句碑を建立。春秋三世碓嶺書。 |
天保4年(1833年)4月4日、信州・奥羽行脚に出る。『をばながさ』 天保12年(1841年)3月、其日庵有物社中は境町諏訪町の三夜堂境内に芭蕉の句碑を建立。仁井田碓嶺筆。 |
しくれんとおもふも露の九月かな 秋風のとちらからも吹日さしかな 着もの干す度に咲けり梅の花 梅咲やうすき茶碗のもちごゝろ 啼ちとり疊の上も冬枯て さひしさの種こそまかね宿の花 闇がりは蚤の浄土よあきの風 蚊屋つれば夜のなくなる住居哉 隣までけし畑行や旅もどり はな待つや花咲かぬ春のいつあらん 年月のふけるかさりや門の雪 見ぬ国の多さに寒し春の月 一人と帳面につく夜寒哉 簔の着ても寝らるる物をゆきとける 来た春の道も隠さずすみだ川 置かけて雨と成りけり山の露 ちる外に風のふくなり山ざくら 待人のふたりまて来てけふの秋 道かへて千鳥も来るや月の雁 若芝や春一トすちの入間道 能連の一人二人や遅さくら 宿かれバうしろになりぬはるの山 家有りとしらて越えけり冬の山 |