俳 人
河西周徳
内藤露沾
の門人水間沾徳に師事。
曽良
の姉の子を娶る。
可都里
『名録帖』
に「周徳
曽良甥
雪丸作者
笠井源蔵」とある。
元禄10年(1697年)、上諏訪町に生まれる。
宝永7年(1710年)5月22日、曽良は62歳で壱岐勝本で没。
『曽良随行日記』は曽良本『おくのほそ道』とともに河西周徳に伝来した。その後
久保島若人
の手に渡った。
元文2年(1737年)10月、
『雪満呂気』
(曽良遺稿)周徳編。
元文5年(1740年)、
正願寺
に曽良の供養碑を建立。
宝暦3年(1753年)、59歳で没。
正願寺に墓がある。
天明3年(1783年)正月、『雪満呂気』(曽良遺稿)刊。
諏訪市の
「文学の道公園」
に句碑がある。
呵られたむかし戀しや雪まるけ
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