俳 書
『芭蕉句選拾遺』
されば後代の龜鑑也とて、翁遷化五とせの後、一世の句を集めて、洛の門人風國泊船を選み、又遙の後、元文戊午、武の華雀其の洩るゝものを補うて、芭蕉句選を出す。句數凡そ六百卅餘員也。されども猶所々に殘れる秀艸多くして、伊州上野住窪田何某、粗(ほゞ)これを拾ひて、洛の書林寛治(當井筒屋庄兵衛)に授く。寛治又道に信厚く、志しを運びて、年ごろ國々に求め、嘗つて古記を考へ探りて記し置きけるもの、倶に一百廿餘句、是泊船句選の兩集に洩れたるものなり。 |
春之部 (貞享年中 素堂其角三物有) 發句なりばせを桃青宿の春 (貞五辰 風麥方にて會の時也) あこくそのこゝろもしらず梅の花 梅咲いてよろこぶ鳥のけしきかな (貞元 莊子の畫讃也) もろこしの俳諧とはん飛ぶ小蝶 (元二) 春雨や蓬をのばす草の道 (貞元) 藻にすだく白魚も取らば消えぬべき |
(元四 赤坂の庵にての吟也。初の庵の時不性さの句同時也。) |
山ぶきや笠にさすべき枝の形 (貞五 當地藥師寺月次初會) 初さくら折しもけふはよき日なり 萬乎別墅 (大阪や次郎太夫) |
(元四未 三月廿三日萬乎別埜さくら見一折あり。) |
としどしや櫻をこやす花のちり (貞元) 世にさかる花にも念佛申しけり ひとり尼わら屋すげなし白つゝじ (膳所へ行く人にとあり。) 鐘つかぬ里は何をか春のくれ 夏之部 あけぼのやまだ朔日にほとゝぎす しばらくは瀧にこもるや夏の初め (元四) 麥の穂や涙にそめて鳴く雲雀 (同) 手をうてば木魂に明くる夏の月 (元四) 醉うて寢ん撫子咲ける石のうへ (同) 世の夏や湖水に疊む浪の上 (元七中夏 東武を立ちて吟行也。) 駿河路や花橘も茶のにほひ (元七戊 藏田氏に遊びての事也。) 柴附し馬の戻りや田うゑ樽 (同年最初) |
大井川浪にちりなし夏の月、といへるを、その女方、白きくの句に紛はしとてなしかへられぬ。 |
清瀧や浪にちりこむ青まつば 尾州笠寺奉納 (貞五) 笠寺や窟(いわや)ももらす五月雨 山のすかた蚕が茶臼の覆ひかな 佐夜の中山にて 命なりわづかの笠の下すゞみ 松風の落葉は水のおと涼し |
松島は好風、扶桑第一の景とかや、古今の人の風情、この島より思ひをよせて、こゝろを盡したくみをめぐらす、およそ海のよも三里許りにてさまざまの島々、奇曲天工の妙を刻みなせるが如く、おのおの松生ひしげり、うるはしさ花やかさいはんかたなし。 |
しまじまや千々にくだきて夏の海 秋之部 あさがほや是もまた我が友ならず (貞二 梨雪所持。題 山家雨後月。) 月はやし梢はあめを持ちながら (元六) 影まちや菊の香のする豆腐くし 伊勢の國中村といふ所にて |
(元峯所持、宇治の中村といふ所を過ぐるに、墓原のありければともあり。土芳句集にいせの中村といふ所にてと許りあり。) |
秋かぜやいせの墓はら猶すごし (貞元道記) 深川やばせをを富士に預け行く (別、移芭蕉の詞ありて。) ばせを葉をはしらに懸けん庵の月 |
(元七戌 片野氏望翠方に八月七日夜會歌仙あり。) |
里ふかく柿の木もたぬ家もなし (元七) めにかゝるくもやしばしの渡り鳥 蝶鳥のしらぬ花あり秋のそら 堅田禪瑞寺にて 朝茶飲む僧しづかなりきくの花 |
崑崙は遠く聞き、蓬莱方丈は仙の地也。まのあたりに士峰(ふじ)地を抜きて蒼天をささへ、日月の為めに雲門を開くかと、むかふところ皆表にして、美景千變す。詩人も句をつくさず、才子文人も言をたち、畫工も筆を捨てゝわしる。もし藐姑射(はこや)の山の神人ありて、其詩を能くせんや、其繪をよくせん歟。 |
(甲州よし田の山家に所持の人ありしを、今東武下谷菊志秘藏なるよし、行脚祇法より傳寫して出す。) |
雲霧の暫時百景をつくしけり 冬之部 |
規外がもとに冬籠りして つくり木の庭をいさめる時雨かな 熱田にて (貞元) 此海に草鞋捨てん笠しぐれ 人々をしぐれよ宿は寒けれども |
(戸田權太夫利胤。青龍院溪則日節と翁手帳に書付けあり。) |
一しぐれ礫や降りて小石川 |
(貞四 富士の雪の句、いづれに決するや否不詳。併し名所の句心得てすべしとあれば此句可也。) |
一をねはしぐるゝ雲か雨の雪 洛御霊法印興行 (元三) 半日は神を友にやとし忘れ 雜之部 海に降る雨や戀しき浮身宿 |