蕉 門

三井秋風

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 京都の人。本名俊寅。三井高俊の三男重俊の子で、服商の釘抜三井家をつぐ。養父より江戸店二軒、千貫目の資産を譲られる。

養父江戸店二ヶ所にて千貫目餘の譲り致し置き候處、其方殊の外成不行跡者にて、中々商賣につたひ不申、奢りの餘り後は曙瀧に山店を構へ夫れに引籠り種々の榮耀を極む、其頃世に曙瀧交と沙汰致申候。

『町人考見録』

言水は鳴滝の秋風子亭を訪れている。

   鳴滝穐風子亭にて

蚊を鳴て曝布萌黄にそむ夜哉


貞享2年(1685年)2月、芭蕉は三井秋風の山荘を訪ねている。

京にのぼりて、三井秋風が鳴滝の山家をとふ。

   梅 林

(梅)白し昨日ふ(ママ)や鶴を盗れし

樫の木の花にかまはぬ姿かな


鳴滝の芭蕉句碑


梅白しきのふや鶴を盗れし

秋風の脇句がある。

紀行に出る句也。秋風が別墅の吟にして、風がワキ有。杉葉に身摺牛二ツ三ツ


   みやこにあそひて題秋風子の梅林
  芭蕉
梅白しきのふや鶴を盗れし
   
杉菜に身する牛二つ馬一つ   秋風

   山家
  芭蕉
樫の木の花に構ハぬ姿かな

家する土をはこふもろつは   秋風


 鳴滝に別墅花林園を構えて遊興、風流三昧の生活を送り、財を失う。

落柿舎は三井秋風の隠宅を譲り受けたものと伝えられる。

享保2年(1717年)、72歳で没。

秋風の句

白雨の隈しる蟻のいそぎかな


正月を馬鹿て暮して二月かな


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