湖白庵諸九
『秋風記』(諸九尼)
明和8年(1771年)、諸九尼が只言法師に誘われ3月晦日に京都岡崎の湖白庵を跡にして、7月25日に松島に着き、9月4日に石山寺に着くまでの俳諧紀行。 |
『奥のほそ道』といふ文を読初しより、何とおもひわく心はなけれど、たゞその跡のなつかしくて年々の春ごとに、霞と共にとは思へど、年老し尼の身なれバ遙なる道のほども覚束なく、またハ関もりの御ゆるしもいかゞと、この年月をいたづらに過しけるに、ことしの春ハ、さる道祖神の憐ミ給ふにや、はからずも只言ほうしに誘れ参らせて、逢坂の関のあなたにこえ行事とハなりぬ。都の空はいふも更なり、住なれし草の戸も、又いつかハと思ふ名残の露を置そふこゝちす。 山ぶきや名ごりは口にいはねども 石山寺に南華法師のいまそかりけるに、いとま申入んとてまうでけるに、都よりしたしき人のあまた送来り、水うミに影みゆるかぎりハと聞えけるを、とかくいひなぐさめて、爰より立かへる波の音もせずなりにき。 床の山は、ことにばせを翁の言の葉思ひ出てなつかし。 かむこ鳥の声も寝ほれて床の山 多賀の御社にまうでけるに、雨しきりに、神さへなりけれバ、門前にやどりもとめぬ。 五日 伊吹山を左に見つゝ行。嵐身にしミて、卯月の空ながら寒し。垣根に咲るうの花も、かゝる折こそ物にもまがひつべし。行々て爰なん不破の関屋の跡といふ。今は荒たる板びさしもなく、石をたゝミたる形ばかりわづかに残れり。その上にわら家たえだえにミゆ。 うの花にかたぶく軒やふはの関 物見の松とて野の中に一木あり。むかし何がしとかやいひしぬす人のかたミとや、いミじき罪ある名をだにふりにし跡と思へバゆかし。尾こし河すのまた川とやらんいふ大なる河をわたりぬ。 八日の朝とミに出て、名護屋みありきて、時節庵に宿る。 九日 熱田の宮居を拝む。 垢離とりてけふは涼しく鳴海かな 千代倉氏を尋ぬ。此あるじは代々風雅の心ざしを続て久し。むかし芭蕉の翁も爰に杖をやすめ給ひ、旅の調度の笈をのこし置給ふをみる、その様よのつねの笈にはあらで、手箱とも思はれ侍る。かのうら嶋が玉手箱にハことかはり、あけてなつかしきいにしへの文ども多くこめられたり。此日難波の旧国のぬしも此家に来りて都の物がたりに、猶行さきのしるべをも聞えあはせて、覚束なき心もなぐさむ。松風の里、夜さむの里、星崎も見わたすばかりなり。 明やすき夜や星崎も遠ざかり 十一日 三河の国八橋の跡を尋ぬ。夏草しげき細道を、たどりつゝ行ども、かきつばたに似たる花だになし。とある家の軒の下に、むかしのゆかり有がほに、花一ッ二ッみ出せるもうれし。 畦道を蜘手に来つゝ燕子花 案内もむかし男やかきつばた 只言 暮かゝる程に、矢矧の橋をわたる。半行て見れば、いづこをかぎりともなく、ひろびろとのどけき川づらに、月のくまなくさし出たる景色、あかず覚ゆ。そこを行ほどもあらず、岡崎の町にやどる。 十二日 国府の才二老人をたづねけるに、翌ハ鳳来寺へともなひ侍んといふにうれしく、こよひは此亭にとまる。 十三日 新城にさそハれ行てとまる。 十四日 鳳来寺に参る。道の傍にて案内の老人に物うちかたる人あり。大野ゝ楽和といへる人にて、この道の好士とや、今宵ハ宿参らせんといふにぞ、やがてその家に入りて、京田舎の物がたりに夜ふけぬ。 十七日 昼より雨そぼち降くらしぬ。掛川にとまる。 十八日 空晴ぬ。さやの中山はけはしき峠もなけれど、行ちがふ馬も人も、山陰にみえかくれてさびし。閑呼(古)鳥の声、ほのかにきこえ、行々もねぶたき心ちしけり。菊川もほど過て、大井川にいたりぬ。此程の雨に水高く、きのふまで渡しもとまりけるが、けふなん川の口あきぬるよし、聞くもうれしく、いざわたしてといへば、おかしく作りたる台にかきのせ、人あまたしてかつぎ行、肩の上に波打こして、あやふくおそろしく、いきたる心地もせで、目ふさぎ念仏申すうちに、わたりはてぬ。夢のさめたらんやうにみかへれバ、跡は遥に、わたり来る人の、ちい(ひ)さき水鳥の波にたゞよひたらんやうに見るさへ、いミじくめづらしくも詠められて、 凉しさのあつさにかはる淵瀬かな むかしの蔦の細道は、若葉茂りて、それともみえわかざりき。柴屋寺宗長ほう(ふ)しの跡を尋入る。夏山の陰ふかく、仏間の香のけぶり、外面なる木草の葉末をわたりてうちかほり、谷水をせき入たる池水に、吐月峯の影すゞし。松栢の下に墓所あり。苔の花匂ひなつかしく、遅ざくらの散のこりたるに、心とゞまれり。 閼伽棚に春やむかしの夏花つむ 江尻といふ宿まで行てとまる。 廿日 清見が関を過るに、岩こす波の、白き絹を打きするやうにミゆと有、ふるき文の言葉、げにとおもひ出られて、あかず詠侍る。 廿三日 大磯にいたり、鴫たつ沢の庵を音信けれど、あるじは留守なりければほゐ(い)なくて、 鴫の声なくてうらやミ麦の秋 かく書付て立出けるに、やがて帰たりとて、人して呼とめられて、また立帰りぬ。西行上人の像を拝ミ、鳥酔老人の塚などとぶらひぬ。松の嵐、磯うつ波の音、何となく物悲しく、心なき身にも哀ぞ添ぬる。 廿五日 藤沢道場、江の島にまうでゝ、日もかたぶきぬれば、此島に磯枕す。 廿六日 鎌倉へ入らんとて、七里が浜、由井(比)が浜などいふをたどるに、澳(おき)の方より立来る波の色の、墨を流したらんやうに見えけるは、いかにと問へバ、鰹といふ魚のむれ来る也といへば、 白なミのうねうね黒し初かつほ(を) 廿七日 金沢称名寺にまうで、四石八木などいふ古き跡を見ありく。中にも西湖の梅など、花咲るころの見まほし。 鶴が岡の八幡宮にまうで、五山の寺々を拝ミめぐる。雪の下の家にやどりけるに、常の旅寝にも似ず、月影が谷のむかしをおもひ出て、極楽寺の鐘の声、ことさらに心とゞまりぬ。 うの花にさえ行かねや雪の下 |
廿八日 品川にいたりぬ。都よりはいさゝかのしるべ有て、本町田中氏の家に尋入りぬ。小右衛門といふ人の、情ぶかくいたはり聞へ(え)られけるに、此ごろの道の疲をわすれぬ。 廿九日 増上寺に参るに、めざましきまでに、堂塔甍をならぶ。この日松露庵、雪中庵をも尋行て、旅の心もなくかたらひ侍りぬ。 五月朔日 蓼太老人の催しにて、隅田川に舟せうようす。在五中将の古き物語ども思出て、誠に遠くも来けりと覚ゆ。梅わか丸の塚を弔ひて、 幟たつころ木母寺の猶あはれ 五百羅漢堂にて、 仰向は子規きく羅漢かも 只言 亀井戸の天神、みめぐりの神など、拝ミめぐりぬ。紫の一もとゆへ(ゑ)にと、きゝしむさし野は、早苗とるころにて、いとゞめづらかに詠つゝ、まつち山とかやにて、たそがれの程に、ほとゝぎすの鳴けるも、名にめでゝいと興あり。浅草の観音にまうでしに、行かふ人のを(お)し合ひたるさま、聞しよりまさりてにぎわ(は)し。 一日 松籟庵抱山宇の老人連を訪ひけるに、昔今の物語ねもごろに聞へ(え)られけるに、年月におこたりし事を愛なくぞ覚えぬ。 五日 雪中庵の再建ありける深川の芭蕉堂にいざなはれて、 葺きかへて今やむかしのあやめ草 ある日、同じ老人、駿河の乙児のぬしなどうちつれて、山の手といふ所に、さそはれ、其爛亭を訪ふに、その家のとうじ浅からざりし言の葉などかずかずたうべけるに、うちとけかたらひ、日をかさねて、雑司谷、目白台などいへる所に遊ぶ。 東叡山にまうでぬ。御寺のけつこういふもさらなり、木立物ふり茂りたる中に、瓦葺るもの所々にきらきらしくみえつゝ、深山路に分のぼる心地す。拝ミめぐりて、日ぐらしといふ所に行て見れバ、いとしづけく、住たきと思ふ庵のいくつも有て床し。飛鳥山は、桜いく千本ともかぎりなく、春ならましかバと、わか葉の下陰をかりてやすらふ。 |
五月廿日の朝かげに、江戸を立出ぬ。此程の巻々、人々の餞別の句など、あまたなれど、かいつくにいとまあらでもらし侍ぬ。 かくて五本松にしばらくたゝずミ、跡の名ごりのわすれがたうて、 涼しさも跡に袂をかへしけり 行徳、鎌が谷などいへるを過れバ、それよりひろき野にして、立よる木陰だになく、二里ばかり行て、白井といふ所に水をうる家あり。此家のむかひに、筑波の葉山茂やまの陰すゞしげに見ゆ。 廿二日 とかくに風直らざれバ、遠くも行かで、やうやう夜半ばかりに、香取の浦辺に着て、笘もる月影をたよりに詠明し、東雲ちかく起出て、明神に参る。野尻といふ所にやどりぬ。あばらなる家なれど、棚なし小舟のおぼつかなさを思へバ、いねもやすきこゝちしけり。 廿三日 銚子にいたりぬ。瀬戸にミち来る潮の一すじ(ぢ)に成て、よのつねの入江より、一きハ景色お(を)かし。 さし汐の銚子にはやきみるめかな 弄船のぬしを尋けるに、心置なくもてなされて、舟路のうさも、道のあつさもわすれぬ。 |
廿五日 銚子を立て、小見川に宿る。 廿六日 舟をかりて、息栖の明神へ参る。鳥居の前の海に石の瓶二ッ有、清水わき出づ、潮にもまじらず清く涼し、御汐井となん申す。神のいかに誓ひおはしましてやと、いと尊く覚え侍る。 御宮の後に古き松一本あり、太さは幾囲ともしれず牛もかくれぬべし。その奥に要石あり、水晶ともいふなる、もろ人の撫さすりて通るゆへ(ゑ)にや、色黒く艶付て、ぬり桶をすへ(ゑ)たらんやうにみえけり。 水無月朔日、額田の三日坊の許に着けるに、過しとし、都にてむつびかたらひし人々の事など問ひきゝてんと、なを(ほ)ざりなくとゞめられけれバ、我もまた、語りなぐさまんと、とゞまりける。 |
三日 あるじの御坊名残お(を)しミて、道の程二里あまりを送来る。かしこに大きなる川の流たるに甲斐甲斐しく我を背に負ひて、むかひなる岸にのこして、さのミやハとて別ぬ。その日ハ折端といふ所にやどりぬ。 四日 奥州の境に入り、棚倉といふ城下に来りぬ。三十日あまり照つゞき侍れバ、暑さも日に日にいやまさりてくるしく、道々の事も覚え侍らで、目もとゞまらず、申の時ばかりに宿をかりぬ。 |
日ぐれの比須賀川のむま屋につく。徳善院のもとを尋けるにせちにとゞめられて、蓑笠の雫をはらひけり。 六日 雨晴れぬれバ立出て、花かつミ生ふときゝし浅香の沼をみる。きのふの雨に水まさりて、いづれをそれと引わづろ(ら)う。 花かつミうづミて水の濁けり 浅香山は、みどりの衣を一重打着せたらんやうに美し。松一本風かほりて、いくちとせのむかしより、万代のしるしとも成なんと、目出度詠なり。山の井ハ遙に、所をへだてゝ遠しとや。 浅香山の陰さへ見えぬ暑さかな 只言 七日 元宮の青龍師をとふ。また二本松の一声上人を尋まい(ゐ)らせけるに、安達が原の窟(いはや)みよとて、案内者を添らる。阿武隈川をわたりて、御寺に帰る。 八日 八町目菊隠子を音信る。福島に泊る。 九日 しのぶずりの石を見る。 汗ながらしのぶ摺ばや旅ごろも |
伊達の大木戸、判官どのゝ腰かけ松などいふを見て過けり。越川にとまる。 十日 白石の城下、千手院とて験者のおはしける、風雅の道には、麦蘿とて名高しと聞て尋ねけるに、浅からずもてなされて、日高けれど宿る。 十一日 舟岡の大光寺と申御寺に行。これは也寥和尚と聞えおはします大徳なり。手づから五百の羅漢の尊像をきざミて、後の山に安置し給ふを結縁す。 十二日 笠嶋の道祖神にぬかづく。宮の奥なる実方中将の御墓所をたづね見るに、一村すゝき生茂りたる中に、苔むせるしるしあり、峯のあらし梢の蝉を(お)のづから哀を催す。 岩沼に出て、ミきとこたへんと有し、武隈の松の二木を見る。 風薫る松やいづれを相夫恋 |
休粋といふくすしの許をたづねて、くれちかき程に仙台につく。心ざしける方も、はやみわたすほどに成けれバ、嬉しさたとへんかたなし。 その夜半ばかりより、心地なやミて常ならず。されど誰かれ訪ひ来ませる人々と、風雅をかたりて、浅からぬ言葉にミじかき言葉をつぎて、病のくるしさもやゝまぎれけるに、日にそひていたづき重くなりて起居もくるしく、さらぬだに覚束なき老の身の、三百里の遠きにたどり来て、いくべきとも覚へ(え)ず悲し。 |
廿日ごろより、つゞきて心地よかりけれバ、おくの細道へ立ち侍らんと思ふに、くすしもゆるしきこへ(え)ければ、廿五日といふに、竹もてあめる駕にたすけのせられて、松嶌に赴侍る。海にわたしたる橋をわたり、雄島の磯に着てみれバ、げにも千嶋の風景、いかで眼も及ぬべしとも覚えず、はかなき世にも、ながらへぬれバこそと嬉しく、年月の思ひも、はるばる来ぬる旅路のうさも、けふはミな忘れ侍りぬ。やがてそのあたりの苫屋にやどり、月なき程の宵の間もなごり多く、蔀おし上てみわたしけるに、いさり火の影、はるかに島の間々に見えかくれて、行衛覚束なし。いねもやらでまち出る月の光さやけく、嶋々に生る松の影、海づらにうつりて気色をそふ。 松しまや千嶋にかはる月の影 帆も霧の中に数え(へ)て千松嶌 只言 夜明ぬれバ、瑞巌寺へまうでゝ、それより冨の観音にのぼる。庭より目の下に見下す景色、またことかはりてみゆ。 嶋々や松の外にはわたり鳥 舟にのりて塩竈に行ほどは、三里ばかり絵の中をしのぎ行心ちして、おもしろさかぎりなし。 露ちるや籬がしまの波の花 千賀の浦にやどる。今は塩やくあまもみえず、うかれめなん有ける。夜ふけてうたふ声いとやさし。 袖ぬらせとてや藻にすむ虫の声 |
廿七日 野田の玉川をこゆ。 秋されやその玉川も虫のこゑ 只言 すゑの松山をたづねて見る。海のかたへハ遠き所也。 松やまや今越るのは鳫の声 多賀城の跡にいたりて、つぼの碑をみれば、いく千載のむかしをおもふ。都をさる事一千五百里とあるにぞ、いとゞしく、過来しかたの、恋しさやるかたなく覚え侍る。十符の菅といふ物も、此あたりちかしと聞ど、身まゝならざれバ、見で過けり。なべて此あたりを奥の細道となん、翁の文にくはしく書給へバ、かれこれ思ひあはせて、床しさも一かたならず、宮城野に分入ば、草の色々咲ミだれ、旅のやつれも、いつしか錦につゝまれし心地して、 宮城野や行くらしても萩がもと つつじが岡は夜の程に過ぬ。 覚束なき日数つもりて、十二日にハ白川の関に出ぬ。山も野もを(お)しなべて色づきわたる。木ずゑどもの川づらにうつりて、からくれなゐに染なせる気色、都にはまだ青葉にてみしかども、紅葉ちりしくと詠じたるも、そゞろに心にこたへて、 いつとなくほつれし笠やあきの風 白川と白坂の間に、境の明神と申神おはします。みちのくと下野の国の境成とや、西行上人の清水流るゝと詠給ふ(ひ)ける所は、田の中を行く水なり。流にそひて柳多し。 落し水にさそハれてちる柳かな この柳がもと芦野といふ所にやどる。 十三日四日 那須野ゝ原を通る。秋のゝのひろきもまたなし。しれる草花の数かぎりなき中にも、 物いはゞ声いかならん女郎花 分入ば鳥の出てゆくすゝきかな 只言 明るをまちて、御宮にまうづ。霧吹はれて、朝日の光り玉籬にかゞやき、甍をつたふ露の雫もるりこはくの玉かとあやまたる。まことに極楽国のしやうごんも、かくやと思れ、おそれミおそれミぬかづき奉る心の中にも、かゝる日影のどけき御代にむまれあひたる我も人も、一度まうでざらましかバと、尊さの身にも心にもあまりて、泪さへとゞめがたく、下向し侍りぬ。 |
十七日 上野の国桐生といふにとまる。それより米野、原の町、大篠などいふ所に宿りて、廿一日は八里峠といふにかゝる。左りの方に浅間山たしかにみゆ。 朝ぎりや麓の家はけぶりたつ 廿二日 善光寺へ行程に、大河をいくつもわたる。爰なん川中嶋といふ。むかしたけ田長尾など聞えし大将の、かせんありし所になん。人の軍書よめるを聞て、所々耳にとまりたる事を思ひつゞけて、かくおさまれる代のしづけく、今は法の道すじと成て、老たる尼ほう(ふ)しまでうちつれて行かふさま、誠に有難ぞおぼゆ。さて善光寺に着ぬ。此ころまで、命もあやう(ふ)き程なりしに、ともかくも成なバ、くらきより闇きにたどりつべきをひとへに仏の御しるべにやと、かたじけなさ、いひつくすべうもなし。御堂の下、はるかにふかくくらき所を、念仏しめぐる。六道めぐりと申よし、うき世の事わざ、ミなわすれて信おこりぬ。 廿四日 榊の宿を通るとて、姨捨山の麓をすぐ。夜ならましかバと、しばしやすらひて、 暮るまで田ごとの落穂ひろハばや 中窪といふ所にて馬より落ける時、 簔むしや落ても草の花のうへ 廿六日 諏訪のいでゆに入て、此ごろのつかれをやしなふ。湖水のほとりを過るに、右ひだりの山々紅葉して、その景またなし。飯田より新道といふ難所をこえて、やうやう九月朔日美濃路に出づ。多久手、鵜ぬま、垂井にとまる。醒井(さめがゐ)の清水はまたも結ばまほしけれど、あゆむ事の自由ならざれバ見てのミ過けり。 |
七ツ下りのころ石山に着て、世尊院の方丈に、頭陀袋をほどく。誠に大とこたちの、朝夕に祈たび給へりしゆへ(ゑ)にや、あやしの老の身の、つゝがなく、二度まミへ(ゑ)参らするも、大慈大悲の御恵ミなるべしと、なきミわらひミ物がたりて、夕ぐれの程に御堂に登り、所願成就の法施奉り、月見の亭に行てミれば、夕附夜の空はれて、風は律といふ調にやかよふらんと、やゝ時をうつす。 はらりはらり荻ふく音やびはのうミ |
石山 |
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雪ならで湖をうづむや夕がすミ | 南華 |
尾州名古屋 |
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着つゝまだ馴ぬ袷やかきつばた | 也有 |
鳴海 |
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一夜一夜月も細りて鹿の声 | 蝶羅 |
三州国府 |
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厨から覗ける雛の内裡(裏)かな | 米林 |
駿州府中 |
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行水によりかゝりけり夏柳 | 乙児 |
相州大磯 |
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若竹や射(うち)に分ゆく投あみ舟 | 百明 |
燕の住居はくらし軒あやめ | 大梁 |
江都 |
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五月雨やある夜ひそかに松の月 | 蓼太 |
たつ鹿も臥猪も秋のわかれ哉 | 吐月 |
日にくらべ月に競てぼたんかな | 素丸 |
桶あてゝ置て留守なり苔清水 | 門瑟 |
竹椽に一節高しかたつぶり | 秋瓜 |
松笠のからび落けり蝉のこゑ | 烏明 |
うら白の陰にあかるき清水哉 | 太無 |
下総銚子 |
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百草の一度に薫る蚊やり哉 | 弄船 |
額田 |
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要害は橋から先やかきつばた | 五峯 |
奥州須賀川 |
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隠れずに来る夜もありて啼水鶏 | 桃祖 |
八丁目 |
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背のびして人見かへるや麦うづら | 菊隠 |
白石 |
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飛付た形も直さず蝉のこゑ | 麦蘿 |
舟岡 |
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朝がほや杖にもよはき竹ながら | 也寥 |
此あたり人も気長しかんこ鳥 | 丈芝 |
湖もさわがしいとて田螺哉 | 巨石 |
津軽 |
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人通り有まで門の雪見かな | 里桂 |
南部 |
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散る間だに与所目はふらじ花の山 | 素郷 |
上州高崎 |
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猫の恋ある夜は石をうたれけり | 雨什 |
加州松任尼 |
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水仙やよくよく冬にうまれつき | 素園 |
日にぬれし椎の葉色や初しぐれ | 既白 |
更行や机の下の桐火桶 | 闌更 |
越前丸岡 |
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老が身や歯がための日も米の飯 | 梨一 |
伊賀上野 |
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春の夜や蛙がなくば何きかん | 桐雨 |
伊勢津 |
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本尊の背中見る日や煤払 | 二日坊 |
備中倉敷 |
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送り火や秋の物とて先悲し | 暮雨 |
三原 |
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帰り花口のうちにて誉にけり | 梨陰 |
草庵にありて |
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芸州広嶋 |
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初霜や疝気の虫のかんこ鳥 | 風律 |
豊前小倉 |
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うぐひすや一声啼て身をひねり | 春渚 |
直方 |
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涅槃会や空も雨もつ心あり | 文沙 |
産声は仏にあらず郭公 | 可文 |
飯塚 |
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戸をたゝく鳥だにも来ず五月闇 | 依兮 |
女 |
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撫子や日傘のうちへ入れてミる | なミ |
白壁を見かへる舟の暑かな | 杏扉 |
ちんまりと成る物かげや冬の月 | 蝶酔 |
筑後善導寺 |
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山吹やおのが月夜を水の上 | 而后 |
豊後杵築 |
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おのが居る跡はすゞし蝉の声 | 蘭里 |
若草にわか草ほどの嵐かな | 山李 |
さくさくと藁喰ふ馬や夜の雪 | 旧国 |
かくれても谷の長者や夕紅葉 | 蝶夢 |
嵯峨 |
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木がらしや夜すがらうごく草の軒 | 重厚 |