俳 人
坂本朱拙
明暦2年(1656年)、日田城内村(現城町)に生まれる。 元禄8年(1695年)、江戸に出て其角を訪ねる。 元禄8年(1695年)12月、広瀬惟然は日田を訪れて朱拙の許に立ち寄っている。 元禄10年(1697年)冬、黒崎の沙明を訪れる。 元禄11年(1698年)、大橋に支考を訪ねる。豊後玖珠まで支考に随行。 |
朱拙曰、このあたり人里ありとはかねてしれるたに今宵はおほろけにたつきなきこゝろもせられて藪村の鷄の聲も人をおとろかすはかりにそありける |
白雲の下に家あり夏の月 | 朱拙 |
元禄12年(1699年)1月、『けふの昔』(朱拙編)四方郎朱拙序。 元禄12年(1699年)、『初便』序。著者不詳。四野人朱拙ともいう。 元禄15年(1702年)1月、『初便』(知方編)朱拙序。惟然跋。 宝永元年(1704年)9月10日、去来没。 |
悼去来 眼を明て思案も出来す菊の宿 |
宝永3年(1706年)、『漆川集』刊。(土明撰)朱拙序。土明跋。 宝永4年(1707年)10月、大垣の木因を訪ねる。 享保元年(1716年)、沢露川は門人燕説を伴って西国を行脚。朱拙の許に立ち寄っている。 |
十年不遇の思ひを述て、廿日ばかり席 |
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をしりぞがずして語ると云詞書、長篇 |
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略レ爰。 |
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此わかれ腸をたつ瓠かな | 朱拙 |
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享保3年(1718年)1月、『初便』樗野坡跋。 享保8年(1723年)、『芭蕉盥』(朱拙・有隣編)序。 享保9年(1724年)4月、『芭蕉盥』(朱拙・有隣編)刊。 |
山の井や猿もあぐらを星むかえ(へ) 豊前中津医師玄貞の亭にて 百草や払はぬまどのうらゝかさ> 頤て本をあけたるこたつ哉 鶯のたゝくさになる柳かな 月花の坐頭にたつわかな哉 頤て本ンを明たる火燵かな 鶯に目白はすうといふ(う)てのく 鴬や籠からまぼる外のあめ 黒崎にて人々に留別 此寒き背中を見せて別れ哉 筑前の国苅萱の関にて木の丸殿の旧跡を感ず 歌舞の地や枯野のうへをふくあらし 若なつみ庖丁ならは牛のふん 海山の達者や雛の餅と酒 行千鳥うさんかるやら海坊主 花ならぬ落葉に何をなめくしり 饂飩打家や師走の梅の花 みそさゞいみそさゞいとて渡りがち 黄鳥や岩のとかりは冬のまゝ あら麦や肥そろハねと鳴鶉 あら塚もかたまれ袖の時雨先 行秋や壁に打むく一羽どり 梅の花折角出ても花の時 きろきろと烏見て居てかへる雁 |