俳 人
春 甫
鶉鳴くや山一つくれふたつ暮 | 春甫 |
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陽炎やくたびれ顔の古仏 | 呂芳 |
穂保の生まれ、名は熈、字は処信とも。菫庵、鴎巣など。画家としても有名で、掛け軸なども多く、殊に色彩が巧みで、花鳥の作品など愛好者の垂涎である。 一茶の門人第一号。長沼の門人との紹介も春甫によるものである。 門人仲間の多くの句を集め、一茶の代撰で「菫艸」を出版。 |
長沼地区地域公民館連絡協議会 |
文化6年(1809年)4月16日、一茶は長沼に入る。経善寺の住職呂芳は湯治に出掛けて留守だったようで、春甫と善光寺の上原文路宅に入る。 |
十六[日] 晴 長沼ニ入 呂芳湯治 春甫として善光寺圭好ニ入
『文化六年句日記』 |
廿一日 晴 春甫同行二人雁田参
『文化六年句日記』 |
久しく願ひけるに、北国日和定めなくて、おもひはたさざるに、今年文化六年八月十五日、同行二人姨捨山に登る事を得たり。 |
十一日 雨 けふといふ今日名月の御山哉
『文化五・六年句日記』 |
文化7年(1810年)1月20日、一茶は長沼の春甫に半紙一締めを送る。 |
廿 晴 信州長沼春甫方ニ半紙一〆送
『七番日記』(文化7年正月) |
『七番日記』(文化7年8月) |
文化11年(1814年)4月25日、一茶は長沼に入り、門人と半歌仙を巻く。 |
廿五日 晴 長沼上ミ町ニ入
『七番日記』(文化11年4月) |
卯月廿五日発足の折から |
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江戸へいざ江戸へいざとやほとゝぎす | 一茶 |
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右(みぎり)は早苗ひだり卯のはな | 春甫 |
四 晴 白山下真光寺詣 訪春甫不逢
『七番日記』(文化11年12月) |
同年12月17日、一茶は江戸を出立して故郷の柏原に向かう途中、白山下で春甫に逢う。 |
晴 江戸出立 於白山下 逢春甫
『七番日記』(文化11年12月) |
文政5年(1822年)2月1日、春甫宅で初午を迎える。 |
夜初午 春甫ニ入
『文政句帖』(文政5年2月) |
けふは初午なれば、里の子どもら朝とくよりしきりに太鼓うち鳴らせば、門の木々も眼覚めたらんやうに一やうに木花咲せて、つやつやとかゞやきけり。 しかるにこの家の妻いかゞしたりけん、さながら鰒(ふぐ)の如くふくれておはしけり。 |
鶯の藪から棒のはつ音哉 啄木や軒の蔦にはよりも来ず つかつかと雉子行藪や一時雨 淋しさを我にうつすな女郎花 柿の木の下は内義(儀)のきぬた哉 暮るまでかゝつてけふも一葉哉 松原へかゝりて夜のあつさ哉 夕ぐれの須磨にかぶさる柳かな 涼しさや夜もつき添ふ歩き神 |