俳 人

春 甫
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長野市役所長沼支所の前に春甫と呂芳の句碑がある。


春甫と呂芳の句碑


鶉鳴くや山一つくれふたつ暮
   春甫

陽炎やくたびれ顔の古仏
   呂芳

村松春甫(1772〜1858)

 穂保の生まれ、名は熈、字は処信とも。菫庵、鴎巣など。画家としても有名で、掛け軸なども多く、殊に色彩が巧みで、花鳥の作品など愛好者の垂涎である。

 一茶の門人第一号。長沼の門人との紹介も春甫によるものである。

 門人仲間の多くの句を集め、一茶の代撰で「菫艸」を出版。

鶉鳴くや山一つくれふたつ暮

長沼地区地域公民館連絡協議会

呂芳は経善寺の住職。

明治初年、経善寺は廃寺となったそうだ。

 文化6年(1809年)4月16日、一茶は長沼に入る。経善寺の住職呂芳は湯治に出掛けて留守だったようで、春甫と善光寺の上原文路宅に入る。

十六[日] 晴 長沼ニ入 呂芳湯治 春甫として善光寺圭好ニ入

『文化六年句日記』

同年4月21日、小林一茶は春甫と雁田に参る。

廿一日 晴 春甫同行二人雁田参

『文化六年句日記』

「雁田」は浄光寺薬師堂であろう。

同年8月15日、一茶は春甫と姨捨山に登る。



 久しく願ひけるに、北国日和定めなくて、おもひはたさざるに、今年文化六年八月十五日、同行二人姨捨山に登る事を得たり。

けふといふ今日名月の御側かな   一茶


『文化五・六年句日記』には「けふといふ今日名月の御山哉」とある。

   十一日 雨

  けふといふ今日名月の御山哉

『文化五・六年句日記』

 文化7年(1810年)1月20日、一茶は長沼の春甫に半紙一締めを送る。

   廿 晴 信州長沼春甫方ニ半紙一〆送

『七番日記』(文化7年正月)

「一締め」は2,000枚。

鹿聞としらで宿する小家哉   春甫

『七番日記』(文化7年8月)

同年、春甫『菫草』板行。

 文化11年(1814年)4月25日、一茶は長沼に入り、門人と半歌仙を巻く。

   廿五日 晴 長沼上ミ町ニ入

『七番日記』(文化11年4月)

   卯月廿五日発足の折から

江戸へいざ江戸へいざとやほとゝぎす
   一茶

(みぎり)は早苗ひだり卯のはな
   春甫


半歌仙は初折の18句を1巻とするもの。36句の歌仙の半分に当たる。

同年11月、春甫は江戸に出て来ていたようだ。

   四 晴 白山下真光寺詣 訪春甫不逢

『七番日記』(文化11年12月)

 同年12月17日、一茶は江戸を出立して故郷の柏原に向かう途中、白山下で春甫に逢う。

   晴 江戸出立 於白山下 逢春甫

『七番日記』(文化11年12月)

 文政5年(1822年)2月1日、春甫宅で初午を迎える。

   夜初午 春甫ニ入

『文政句帖』(文政5年2月)

 けふは初午なれば、里の子どもら朝とくよりしきりに太鼓うち鳴らせば、門の木々も眼覚めたらんやうに一やうに木花咲せて、つやつやとかゞやきけり。

 しかるにこの家の妻いかゞしたりけん、さながら鰒(ふぐ)の如くふくれておはしけり。

仏頂づらそつと吹也春の風


同年8月、春甫没。享年87歳。

妙笑寺に墓があるそうだ。

妙笑禪寺


春甫の句

鶯の藪から棒のはつ音哉

啄木や軒の蔦にはよりも来ず


つかつかと雉子行藪や一時雨


淋しさを我にうつすな女郎花


柿の木の下は内義(儀)のきぬた哉


暮るまでかゝつてけふも一葉哉


松原へかゝりて夜のあつさ哉


夕ぐれの須磨にかぶさる柳かな


涼しさや夜もつき添ふ歩き神


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