俳 書

『芭蕉翁發句集』  ・ 

(蝶夢編・安永3年刊)


蝶夢編。安永3年(1774年)7月、刊。752句を収録。

土芳の『蕉翁句集』をもとにして芭蕉の句を年代順に編集。

明れは翁の住給ひし旧庵に伴ひ行て文庫にひめ置たる土芳自筆の本書を見せしむるに写したる書に一点も違ずその三寸九分四方に萌黄の絹表紙をかけ蕉翁句集と有墨付四十五枚薄模様紙に書り別に蕉翁文集奥の細道の二冊ありまことに一誦三嘆し

芭蕉翁發句集 上

 延寶天和年中

この梅に牛も初音と啼つへし

見わたせハ詠れはミれハ須广の秋

   深川菴

芭蕉野分して盥(たらい)に雨をきく夜かな

   角蓼螢句

蕣にわれはめしくふをのこ哉

   手つから雨の侘笠をはりて

世にふるも更に宗祇のやとりかな

貧山の釜霜に啼聲寒し

   佐夜の中山にて

命なりわつかの笠の下すゝミ

 貞享元子歳

春立や新年ふるき米五升

   莊子乃繪讃

唐土の俳諧とはん飛こてふ

   愛方知酒聖(愛メハ方ニ酒聖ヲ知)
   貧覚銭神(貧メハ始めて銭ノ神ヲ覺)

花にうき世我酒白く食(めし)黒し

世にさかる花にも念佛申しけり

   三聖人の圖

月花のこれやまことの主達

清く聞ん耳に香タイて郭公(※「タイ」=火+主)

松風の落葉か水の音涼し

   畫 讃

馬ほくほくわれを繪に見る夏野哉

江上の破屋を出る程風の聲そゝろ寒けなり

野さらしを心に風のしむ身かな

秋十とせかへりて江戸をさす古郷

關こゆる日は雨降て山みな雲にかくれたるを

霧しくれ富士を見ぬ日そ面白き

富士川を行に三ツはかりの捨子の泣くあり此川の早瀬にかけてうき世の浪をしのくにたえす露はかりの命まつ間と捨置けん小萩かもとの秋の風こよひやちるらん明日やしをれんと袂より喰物投て通るに

猿をきく人すて子に秋の風いかに

   眼 前

道のへの木槿は馬に喰れけり

杜牧か早行の殘夢小夜の中山にいたりてたちまち驚く

馬に寐て殘夢月遠し茶のけふり

   田中の法蔵寺にて

苅跡や早稲かたかたの鴫の聲

暮て外宮に詣侍りけるに一の華表の陰ほのくらく御燈(みあかし)所々にみへてまた上もなき峰の松風身にしむはかり深き心をおこして

三十日月なし千とせの杉を抱あらし

西行谷の麓に流あり女ともの芋洗ふを見るに

芋あらふ女西行ならは歌讀ん

   二見の浦にて

硯かとひろふやくほき石の露

   閑人の廬牧亭をとひて

蔦植て竹四五本のあらしかな

長月はしめ古里にかへる北堂の萱草も霜枯はて今は跡たになし何事もむかしにかはりてはらからの鬢白く眉皺よりてたゝ命ありてとのミ言て詞はなきに、兄の守袋より取出て母の白髪拜よ浦島の子か玉手箱汝か眉もやゝ老たりとしはらく泣て

手にとらは消ん泪そあつき秋の霜

いにしへの常盤が塚あり伊勢の守武がいひける義朝殿に似たる秋風とはいづれの所か似たりけむ我もまた

義朝の心に似たり秋の風

   不 破

秋かせや藪も畑も不破の関

大垣にとまりける夜は木因か家を主とす武藏野を出し時野さらしを心におもひて旅たちけれハ

死もせぬ旅寝の果よ秋のくれ

   桑名本当寺にて

冬牡丹ちどりよ雪のほとゝきす

草の枕に寐あきてまたほのくらきに濱のかたに出て地蔵堂の板に書つく

曙や白魚しろきこと一寸

熱田に詣つ社頭大に破れ築地はたふれて草むらにかくる

しのふさへ枯て餅かふ宿りかな

   名護屋に入る道のほと諷吟す

木からしの身は竹齋に似たるかな

草枕犬もしくるゝか夜の聲

   雪見にありきて抱月亭

市人にいて是うらん雪の傘

   旅人をみる

馬をさへなかむる雪のあしたかな

   海邊に日くらして

海くれて鴨の聲ほのかに白し

林氏桐葉のぬし心さし淺からさりけれハ暫とゝまらむとせし程に

此海に草鞋を捨ん笠しくれ

   鍛治出羽守氏雲亭にて

面白し雪にやならん冬の雨

箱根こす人もあるらし今朝の雪

爰にわらちをときかしこに杖を捨て旅寐なからに年のくれけれハ

年くれぬ笠着てわらちはきなから

 貞享二丑歳

   伊賀のある方にて

旅からす古巣は梅に成にけり

   奈良に出る道のほと

春なれや名もなき山の朝霞

   二月堂に籠りて

水とりやこもりの僧の沓の音

京に登りて三井秋風か鳴瀧の山家をとふ

梅白しきのふや鶴をぬすまれし

樫木の花にかまハぬすかた哉

   野中の日影

蝶の飛はかり野中の日影かな

   伏見西岸寺任口上人にあふとて

わか衣(きぬ)にふしミの桃の雫せよ

   大津に出る道山路をこえて

山路來て何やら床しすみれ草

   湖水眺望

辛崎の松は花より朧にて

   晝の休ひとて旅店に腰をかけて

躑躅生てその陰に干鱈さく女

   吟 行

菜畑に花見顔なる雀かな

水口にて廿年を經て故人土芳と大仙寺にあふ

命ふたつ中に活きたる櫻かな

伊豆の国蛭が小嶋の桑門これも去年の秋より行脚しけるに我名を聞て草の枕の道つれにもと尾張の国まてあとをしたひ来りけれハ

いさともに穂麥くらハん草枕

此僧我に告て曰圓覺寺大顛和尚ことしむ月のはしめ遷化し給ふよしまことや夢の心地せらるにまつ道より其角か方へ申遣しける

梅戀ひて卯の花拝む涙かな

思ひ出す木曽や四月の櫻かり

   知足亭庭前にて

杜若われに發句のおもひあり

   甲斐の国山家に立よりて

行駒の麥になくさむやとりかな

山賤のおとかひ閉るむくらかな

卯月のすゑにかへりて旅のつかれをはらす

夏ころもいまた虱をとり盡さす

鹿嶋山の麓にて月の夜雨しきりに降て月見るへくもあらさりけるに暁の空いさゝか晴ぬるを

月はやし木ずゑは雨をもちなから

根本寺の隣室にやどる人をして深省を發せしむ

寺に寝てまこと顔なる月見かな

雲折々人を休むる月見かな

   船中にて

明ほのや廿七夜も三日の月

 貞享三寅年

古池や蛙飛こむ水の音

観音の甍見やりつ花の雲

花咲て七日鶴見る梺かな

   對友人曽良

君火たけよき物見せん雪丸け

 貞享四卯年

よく見れは薺花さく垣根哉

なかき日も囀りたらぬ雲雀かな

原中や物にもつかす啼く雲雀

   物皆自得

花に遊ふ虻なくらひそ友すゝめ

   草 菴

花の雲鐘は上野か淺草か

子規なきなき飛そいそかはし

   其角か母五七日追善

卯の花も母なき宿そすさましき

   岱水亭

雨折々おもふ事なき早苗かな

さゝれ蟹足はひ上る清水哉

簑虫の音を聞に來よ草の庵

名月や池をめくりて夜もすから

   江戸を出るとて

旅人とわか名呼れん初しくれ

一尾根は時雨るゝ雲か富士の雪

   三河の下地の茶店にて

こを焚て手拭あぶる寒さかな

   越人と吉田の驛にて

寒けれと二人たひ寢そたのもしき

鳴海の驛本陣ボク言亭に泊けるに飛鳥井雅章の君都をへだててと詠て主に給りけるをみて

京まてはまた半空や雪の雲

   呼續の濱はくれてから笠寺は雪のふる日

星崎の闇を見よとや啼千鳥

   熱田の宮御修覆なりぬ

(とぎ)直す鏡も清し雪の花

   多度權現を過るとて

宮人よわが名をちらせ落葉川

伊良古崎は南の海の果にて鷹のはしめて渡る所といへりいらこ鷹なと歌にもよめりけりと思へは猶あはれなる折ふし

鷹一ツ見付てうれしいらこ崎

あまつ縄手海より吹上る風いと寒き所なり

すくみ行や馬上に氷る影法師

   杜国か菴を尋ねて

されハこそあれたきまゝの霜の宿

麦はえてよきかくれ家や畠むら

   兼日の會に

ためつけて雪見にまかる紙子哉

桑名より馬に乘て杖突坂引上すに荷鞍うちかへりて馬より落ちぬ便なの乗人や獨旅さへ有をと馬士にしかられなから

歩行ならハ杖突坂を落馬かな

ふる里や臍の緒になく年のくれ

 貞享五辰年

宵のとし空の名残おしまんと酒のみ夜更して元日晝まて寐て餅くひはつしぬ

二日にもぬかりはせしな花の春

   風麦亭 二句

春立ちてまた九日の野山かな

あこくその心も知らす梅の花

かれ芝ややゝ陽炎の一二寸

阿波の荘に新大佛寺と云有此所は南都東大寺の聖俊乗上人の舊跡也旧友宗七宗無一人二人をさそひものしてかの地に到る仁王門鐘樓の後は枯たる草の底にかくれて松物いはゝことゝはん礎はかり菫のみしてと云けんもかゝる気色に似たらん猶分入るに蓮花座獅子の座なとはいまた苔の趾を殘せり御佛は後へなる岩窟に埋れてわつかに見えさせ給ふ御くしはかりはいまたつゝかもなく上人の御影を崇め置たる草堂の傍に安置したり誠にこゝらの人の力を費したる上人の御願いたつらになり侍ることも悲しく涙も落て物語もなしむなしき石臺にぬかつきて

丈六に陽炎高し石の上

   菩提山

山寺の悲しさつけよ野老(トコロ)ほり

   二乗軒

藪椿門はむくらの若葉かな

   龍尚舎にあふ

物の名を先とふ荻のわか葉哉

   伊賀上野藥師寺初會

初さくら折しもけふはよき日なり

咲みたす桃の中よりはつ櫻

景清も花見の坐には七兵衞

探丸子のきみ別墅の花見催させ給ひけるにまかりて古き事なとおもひ出侍るに

様々の事思ひ出すさくらかな

瓢竹菴に膝を入れて旅の思ひいとやすかりけれハ

花を宿にはしめ終や廿日ほと

   笠のうらに

芳野にてさくら見せうそ檜木笠

   初瀬にて

春の夜や籠り人床し堂の隅

   臍 峠

雲雀より空に休ふ峠かな

   龍門にて

酒のみにかたらむかゝる瀧の花

櫻かりきとくや日々に五里六里

   よし野にて

花さかり山は日ころの朝ほらけ

しはらくは花の上なる月夜かな

春雨の木下にかゝる雫かな

   西河にて

ほろほろと山吹ちるか瀧の音

丹波市とかやいふ所にて日の暮かゝりけるに藤のおほつかなく咲けるを

草臥て宿かるころや藤の花

   草尾村にて

花の陰謡に似たる旅寝かな

かつらき山の麓を通るに四方の花さかりにて嶺々は霞わたりたる曙のけしきいと艶なるにかの神の見かたちあしゝと人の口さかなく世にいひ傳へ侍れは

猶見たし花に明ゆく神の顔

   高野にて

父母のしきりにこひし雉子の聲

行春に和歌の浦にて追付たり

   旅 行

一つ脱てうしろにおひぬ更かえ

夏来てもたゝ一つ葉の一葉かな

招提寺にて鑑眞和尚の御影を拝し御目の盲させ給ふ事を思ひつゞけて

若葉して御目の雫ぬくははや

須广寺に籟ぬ笛きく木下闇

蝸牛角ふりわけよ須广あかし

   明石夜泊

蛸壺やはかなき夢を夏の月

時鳥消行かたや嶋一ッ

   大坂にて或人のもとにて

燕子花かたるも旅のひとつかな

山崎宗鑑屋敷にて近衛殿の宗鑑かすかたを見れハかきつはたと遊しけることを思ひ出て心のうちにいふ

有かたき姿拝んかきつばた

さミたれにかくれぬものや瀬田の橋

   尾州笠寺奉納絵馬

笠寺や窟(いわや)ももらす五月雨

千子が身まかりけるを聞て美濃の国より去来か方へつかはしける

なき人の小袖も今や土用干

   岐阜山

撞鐘もひゝくやうなり蝉の声

秋芳軒宜白のまねきに應して稲葉山の松の下涼して長途の愁をなぐさむほと

山かげや身をやしなはむふり畑

またたぐひ長良の川の鮎鱠

長良川に□□□賀嶋氏か水樓にて十八樓の記あり

此あたり目に見ゆる物みなすゝし

鵜飼を見る鵜舟も通り過る程に歸るとて

おもしろうてやかて悲しき鵜舟哉

   岐阜山

城あとや古井の清水先問ん

   桑門己百亭に日ころありて

やとりせん藜の杖になる日まて

   杉の竹葉軒といふ庵を尋て

粟稗にまつしくもあらす草の菴

   大曽根成就院の歸るさに

何事の見たてにも似す三日の月

ひよろひよろと猶露けしやおみなへし

   留 別

送られつ送りつはては木曽の秋

桟やいのちをからむ蔦かつら

山は八幡といふ里より南に西南に横をれて冷しく高くもあらすかとかとしき岩なども見えすたゝあはれふかき山のすかた也なくさめかねしといひけんもことはりにしられてそゝろに悲しきに何故にか老たる人を捨たらんと思ふにいとゝ涙も落そひけれは

俤や姨ひとりなく月の友

   善光寺

月影や四門四宗もたゝ一つ

十六夜もまた更科の郡かな

身にしみて大根辛し秋の風

吹とはす石は淺間の野分かな

中秋の月は更科の里姨捨山になくさめかねて猶哀さの目もはなれすなから長月十三夜になりぬ

木曽の痩もまた直らぬに後の月

夕顔や秋は色々の瓢かな

   畫 讃

西行のわらちもかゝれ松の露

枯枝に烏のとまりけり秋の暮

留守の間にあれたる神の落葉哉

御命講や油のやうな酒五升

雪ちるや穂屋の薄のかり殘し

いさゝらは雪見にころふ所まて

冬籠りまたより添ん此はしら

朝よさにたか松嶋そ片こゝろ

芭蕉翁發句集 

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