蕉 門
江左尚白
尚白 江左氏、名ハ三益、木翁、江州大津人、始不卜ノ門人也。享保七年七月十九日歿。七十三歳。奇絶作者、輕ミヲよくす。
『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿) |
貞亨2年(1685年)、芭蕉は京都から大津に出る。 |
湖水の眺望 辛崎の松は花より朧にて |
元禄元年(1688年)11月27日、其角は加生と共に尚白亭を訪ねている。 |
霜月下の七日 |
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尚白亭 酔支枕 |
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闇にとて雪待得たる小舟哉 | 尚白 |
橋下(ウラ)寒きともし火の筋 | 加生 |
茶師の蔵梢々にかさなりて | 其角 |
元禄元年(1688年)12月5日、芭蕉の尚白宛書簡がある。 |
襟巻に首引入て冬の月 | 杉風 |
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火桶抱ておとがい臍をかくしけり | 路通 |
此作者は松もとにてつれづれよみたる狂隠者、今我隣庵に有。俳作妙を得たり。 |
雪ごとにうつばりゆがむ住ゐ哉 | 苔翠 |
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冬篭又依りそはん此はしら | 愚句 |
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菊鶏頭切尽しけりおめいこう | 愚句 |
句はあしく候へ共、五十年来人の見出ぬ季節、愚老が拙き口にかかり、若上人真霊あらば我名ヲしれとぞわらひ候。此冬は物むつかしく句も不レ出候。 以上 |
元禄3年(1690年)8月15日、芭蕉と尚白の両吟歌仙がある。芭蕉47歳の時である。 |
古寺翫月 |
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月見する座にうつくしき顔もなし | 芭蕉 |
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庭の柿の葉みの虫になれ | 尚白 |
元禄4年(1691年)5月1日、落柿舎滞在中の芭蕉に尚白の消息が有った。 |
朔 江州平田明照寺李由被問。 尚白・千那、消息有。 |
竹ノ子や喰残されし後の露 | 李由 |
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頃日の肌着身に付く卯月哉 | 尚白 |
鶯や雑煮過たる里つゞき 十月や草まだ見ゆる庭の隅 名月や大津の人の人がまし 逢坂や鶯きかば小関越 手をさして瞽女かしこまる火燵哉 鶯の人におかしきそぶり哉 ほとゝぎす鳴やからすの居ぬところ きりきりす啼や背中を負ふことく 閑居のこゝろを 竹といへば痩藪梅は老木かな 見へましたお相撲見へた見えました 道ばたに多賀の鳥井の寒さかな 道はたに多賀の鳥井の寒さ哉 此ごろは小粒になりぬ五月雨 鶯や雑煮過たる里つゝき ほとゝきすけふに限りて誰もなし 母におくれたる子の哀さに お(を)さな子やひとり飯くふ秋の暮 降兼て今宵になりぬ月の雲 |