俳 人

其日庵尺艾
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下総の人。淀名和氏。江戸で立机。蝶夢の門人。

 天明元年(1781年)2月、『芭蕉翁古式之俳諧』(尺艾編)。自序。

 天明4年(1784年)、尺艾は筑紫に行脚して『しらぬひ 六歌仙』を刊行。

 天明4年10月12日、義仲寺時雨会に参列した後、沂風と京の五升庵を訪ねた。

 天明5年(1785年)2月25日、天神忌に百韻を太宰府天満宮に奉納。

 天明5年(1785年)、奉納雪の道』(尺艾編)。自序。

 天明6年(1786年)8月24日、沂風と祥然は太宰府天満宮の祭礼見物に赴く。蝶酔・梅珠それに尺艾も同行して歌仙興行。

   八月廿四日聖廟神祀法楽

虫の声しきりにすめり神うつし
  祥然

 月仰ぎまつ飛梅のかげ
   梅珠

歌ぶくろ秋の名残やこめぬらん
   沂風

 都の人の風俗ぞかしこき
   蝶酔

牧立の駒乗なをす日すがらに
   尺艾

 丸雪はらはらころぶ芝橋
   其朝


 寛政元年(1789年)夏、大坂に結庵。

 寛政5年(1793年)、尺艾は桜井の吐雲邸を訪問している。

我に似て人も急かす薄かすみ


 寛政7年(1795年)夏、一茶は尺艾の大坂旅寓を訪れる。

   浪華に足留ムアリ、東に
   赴クアリ、共に是雲水

(うすもの)の薄きぞ旅のかねてより
   尺艾

 身は涼風に任せぬる月
   一茶


 寛政10年(1798年)、一茶は6年の西国行脚を終え、東帰。

古郷は遠にあらずうめの花


 享和3年(1803年)、『芭蕉翁古式之俳諧』(尺艾編)。

文政2年(1819年)、歿。

尺艾の句

船なから今宵は過つはつしくれ


春もやゝうき世に出たり松囃子


日をあとに粟津をを前にシクレ(※「雨」+「衆」)けり


庵荒ていつまて草にしくれ哉


十日から三夜目覚けり時雨けり


陽炎に息ふきかけついせの海士


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