蕉 門

久芳水颯

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筑前蕉門の俳人。初号水札。

 元禄9年(1696年)8月、芭蕉の三回忌で久芳水颯と関屋沙明は浄蓮寺に翁塚を建立。



芭蕉翁

 元禄11年(1698年)、各務支考は黒崎を訪れている。

此日駕籠にたすけられて、ふたゝび黒崎に歸る。是は水颯・沙明など枕がみになげき申されし、はじめの心ざしをつぐのはんとなり。

   駕籠の戸に山まづうれし鵙の聲

       沙明亭

   生て世に菜汁菊の香目に月夜

       水颯亭

   脇息に木兔一羽秋さむし


 宝永2年(1705年)、魯九は長崎に旅立つ。帰途、黒崎を訪れている。

   仝 黒崎 水颯亭

カイトツテ目につく物や浦の月
 魯九

西瓜喰ふ空や今宵の天の川
 関根甚左ヱ門
 沙明

鵙鳴や雲陰さむき穐の原
 久芳忠左ヱ門
 水颯


 宝永5年(1708年)3月末、野坡は筑紫行脚に出立。4月1日、黒崎水颯亭。

 正徳5年(1715年)、黒崎の岡田宮に狛犬を奉納したそうだ。

 享保元年(1716年)、露川は門人燕説を伴って西国を行脚。水颯と沙明を訪ねている。

   筑前の國黒崎に着。水颯・砂明の二子に
   野叟が下向を待れて、一昔の物語に數
   百里の勞を消す。

蚊屋廣しいでや野の夢山の夢
   居士

此宿や槇の霖雨の乾く迄
   燕説


浄蓮寺に墓がある。

水颯の句

鴬や十聲もつゝく窓のさき


掛声で松きる旦のつらゝかな

城あとは麦のあらしやかんこ鳥


駄肥や土手のすくろはや緑


(マル)々の中を崩すや赤かしら

あさ夕の下女の仕立やちさの露


日のうつり見えて涼しや海松の房



戸障子を明はなしたる彼岸哉


五六間蔦のもみぢや松ののし


草あつし蚓のおよく馬の尿

早起や花またくらき雉子の聲


有明の人はぐれてや雲の峯


月のよの夜明にうつる野原哉


五月雨を甲出す日にわかれけり

小洗ひの水田すみゆく早苗哉


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