俳 人
道山壮山
明治26年(1893年)7月21日、正岡子規は須賀川に道山壮山氏を訪れている。 |
須賀川に道山壮山氏を訪ふ此地の名望家なり。須賀川は旧白川領にして古来此地より出でたる俳人は可伸等躬雨考たよ女なり。 |
明治26年(1893年)10月17日、長田村(猪苗代町)の山内忠孝ら8人が催主となり芭蕉二百年の祭典を施行して芭蕉の句碑を建立。 |
明治28年(1895年)、『子規塚集』刊。若松の護六選。 |
明治29年(1896年)、京都二条家から「栗の本」の称号を与えられた。 |
明治39年(1906年)10月16日、河東碧梧桐は道山壮山の家を訪れている。 |
道山壮山というのは近頃残した宗匠であった。明治二十六年子規子のこの地に立寄ったのは、この壮山の家であった。壮山とは対談もあったらしい。これを訪うて、その庭を一見しその座敷にしばらく坐った。 |
寒うてもむくうても野ハ梅の花 |