あつさの節候へども、御安清ニ被遊[候]哉、奉賀。しかれば、此度『さらば笠』一蓋、玉吟も加入仕候へば入貴覧、御笑納可被下候。小人も近々尊地へおもぶき候へば、秋比は可得尊意と奉存候。御風交可被下候様奉頼上候。以上。
六月廿二日
一茶
時鳥手のとゞく程に通りけり
たのしみの一汗入木かげ哉
河縁の冷汁すへて月夜哉
などゝ貴評可被下様候。
二白 何とぞ所々え(へ)とゞけ可被下候様奉頼上候。
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双烏は何故か封書入書冊を開かずに、そのまましまい込んでしまった。
「小人も近々尊地へおもぶき候へば」とあるが、一茶は双烏のもとに立ち寄ることはなかったようだ。
双烏宛の書簡は『さらば笠』と共に封緘されたままになっていて、昭和10年頃、戸谷家の藏から発見された。
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享和元年(1801年)、井上士朗は江戸から信州へ旅をする途中で、本庄宿に立ち寄った。
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二光山赤城山見ゆる。本庄宿。
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雉子鳴て猫をよび込篠屋哉
| 双烏
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ちる花は朧烏のねぐら哉
| 長翠
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文化12年(1815年)夏、双烏は神流川の両岸に石灯籠を建立。
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晩年は川村碩布や久米逸淵などが双烏のもとを訪れている。
嘉永2年(1849年)4月6日、76歳で没。
安養院に双烏の墓がある。
安養院

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