享保17年(1732年)、江戸の商家に生まれ、菜窓と号し、医学、俳諧等を学ぶ。 |
吾蕉風にをけるや翁か洒落ハ置て論せす、たゝ其・嵐の風骨をうかゝひ蓼先師の譚笑をしたふ、
『能静草』 |
医師としても活躍し、榎戸村(現鴻巣市)の眼医者横田邦厖(文玉)とも親交があった。 明和2年(1765年)、荘丹は大島蓼太がみちのくに旅立つのを船で千住まで送った。 |
蓼師と周竹叟ミちのくの行を千住に送る舟中吟 夏川やはなれぬ鴛の船二艘
『能静草』 |
天明7年(1787年)9月7日、蓼太は70歳で没。10月7日、完来は四世雪中庵号と嵐雪伝来の点印とを継承した。 天明8年(1788年)、『歳旦歳暮』(完来編)刊。 |
年の市弓は手桶にをさまりたり 荘丹
『歳旦歳暮』 |
寛政3年(1791年)3月6日、荘丹は与野(現さいたま市)の妙行寺に自分で墓を造った。 |
寛政辛亥季春六日修二造寿蔵一在二于武州足立郡鈴谷邨妙行寺裡一因観二兼好法師之和歌一 |
華さくら雙岡のおもひかな 誌二寿蔵一 うくひすや朝な朝なの布施に何
『能静草』 |
文化2年(1805年)2月、門人菜英に菜窓の号を譲り、能静と改めた。 |
吾呼古されし菜窓の号を贈るとて 花なから参らせ篭や莖立菜
『能静草』 |
文化3年(1806年)、『はせを其角嵐雪三家発句解』。 文化5年(1808年)11月、『能静草』刊。夏目成美序。 文化6年(1809年)7月17日、松村篁雨は77歳で没。 文化7年(1810年)7月、篁雨の一周忌追善集『盆かはらけ』刊。鈴木荘丹序。 |
其道や後るゝとても秋の霜 能静荘丹
『盆かはらけ』 |
文化9年(1809年)、小川町下古寺の梅松院に芭蕉の句碑を建立。 |
白柄を昔かたりや華さかり 春雨や奈良の鹿には紅葉笠 紅梅はおふ(ほ)太刀をさす若衆哉 紅海は大太刀をさす若衆哉 うぐひすの丁子含める音色哉 水仙や兎の耳も旭影 |