蕉 門
西山宗因
童名金作後に藤七郎又忠右衛門宗房といふ。主従ともに滑稽の道に志篤く、貞徳老人の流れを汲み、恪の季吟貞室、攝の宗因等にしたしみ遊ふ事歳あり。 |
慶長10年(1605年)、肥後に生まれる。 寛永16年(1639年)、讃岐に遊ぶ。「水くらげ」 正保4年(1647年)、西山宗因は大坂天満宮連歌所の宗匠となる。 |
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承応2年(1653年)、美作国津山へ向かう。『津山紀行』 |
寛文2年(1662年)3月初め、宗因は難波を出発して松島へ旅立つ。「西翁道之記」「松島一見記」 寛文3年(1663年)、宗因は豊前小倉の藩主小笠原忠真公の招きに応じて西下。8月10日頃太宰府安楽寺に詣でる。「筑紫太宰府記」 寛文12年(1672年)正月17日から21日にかけて、西山宗因は明石人丸社に奉納するための「明石浦人丸社千句」の興行に参加。 延宝3年(1675年)、宗因は江戸へ下る。 |
西山氏 |
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されば爰に談林の木あり梅の花 | 梅翁 |
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世俗眠をさますうぐひす | 雪柴 |
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『談林百十韵』 |
延宝4年(1676年)、芭蕉は素堂と両吟。 |
此梅に牛も初音と啼つべし | 桃青 |
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ましてや蛙人間の作 | 信章 |
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『江戸両吟集』 |
延宝9年(1681年)、観音寺の僧宗実大坂に出て一夜庵再興の勧進。『一夜庵建立縁起』刊。 |
宗因廟 宗因は春死なれしか秋の塚 |
寛政4年(1792年)、谷素外は二代井原西鶴の百回忌を記念して、「梅翁花樽碑」を建立。 |
於我何有哉 |
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江戸をもつて鑑とす也花に樽 |
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誹談林初祖 梅翁西山宗因 |
ながむとて花にもいたし頸の骨 | 宗因 |
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花の雲鐘は上野か浅草か | 芭蕉 |
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ゆく水やなににとどまる乃里(のり)の味 | 其角 |
聖護院の宮覚寛法親王みね入 有しを拝み侍りて 峯入は宮もわらぢの旅路哉 葉茶つぼやありともしらでゆくあらし 遙なる唐茶も秋の寐覚哉 ながむとて花にもいたし首のほね 芋は芋はまつ月をうるゆふへ哉 つくしにて 世の中のうさ八まんを花に風 秋の花 まうしまうし六藏か申女郎花 人丸の社頭に月を見て いやるないの所は明石三五の暮 はこさきや八幡大名萩の庭 太守公の御前にて 御ン門や箱崎生の松かさり 莊子の畫賛 世の中よ蝶々とまれかくもあれ しら露や無分別なる置所 白露や無分別なる置所 しら露や無分別なる置所 夏山は寢ざめの枕屏風哉 なのはなや一本咲し松のもと |