俳 人
松井素輪
前橋の名門で門弟1,000を有する勢力があり、当時全国の俳人で前橋の素輪を知らない者はなかったそうだ。 享保17年(1732年)1月24日に生まれる。 |
寛延3年(1750年)1月13日、雲裡坊に素輪の号を授与された。 明和3年(1766年)11月7日、建部凉袋は素輪のもとへ。 |
美昭はあどひて、前橋なる素輪(シロワ)がりともにやどる。三日ばかりとゞまりて、あるじ素輪伴ひて伊勢崎の国府に行。玉村なる勇水、きぞより来て有しが、同じくつれぬ。 |
明和9年(1772年)8月、江戸の俳人摩訶窓珪山の発起で、伊香保温泉に芭蕉の句碑を建立。建立者の中に素輪の名がある。 安永8年(1779年)冬、麦林舎乙由の句碑を建立。 |
天明元年(1781年)、素輪社中約2000人によって徳沢の観音堂に芭蕉の句碑を建立。 |
寛政4年(1792年)3月、素輪社中の素夕、虎輪、戌輪等々は地元に芭蕉の句碑を建立。 |
梅にして伐は松なりけふの雪 うくひすやむめほの白き朝朗 我しらぬむかしを今もしくれけり 鯉はねて水動けりかきつはた 夢はかれ野の句を思ひ出奉りて かけめくる木のはにあはれみる日哉 しくれ行時雨きにけり村しくれ 椎の木の時雨しくれてぬれにけり 鶏頭の花に重みや夕しくれ ぬれ色にむかしなつかし初時雨 見る間なく霧晴きりのかゝる也 ぬれぬれて木の葉しつまる時雨(※「雨」+「衆」)かな うぐひすの桜に啼てはるくれぬ 夕かぜや埋れし谷の霧うごく 竹植る顔に葉わけの嵐かな 蘂に纏ひ梅がゝ長くたもちけり さびしさやおこらんとする炭の音 植女(をとめ)等を見にゆくも君が世なる哉 雁がねや芦の根そゝぐ水はやき 木がくれてきぬたひるうつ嬬(やもめ)かな 鵙なくや丘ぬるでに夕日さす 遠里や日暮に低きいかのぼり 合羽着て時雨行見よ長堤 跨んとすれハ母なり郭公 雪車の裏いさ叩かせん初液雨 郭公けぶりときえて淺間山 さしもなき物にかれ野のむら烏 |