俳 人

梅沢素人
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栗橋宿下町の名主。名は弥五右衛門。

 宝暦2年(1752年)秋、白井鳥酔は春暁庵星飯を伴い奥羽遊吟。帰途遊行柳の枝を手折り、素人の庭に刺す。

宝暦中、鳥老師、山鯉房を携へ奥羽行李の戻りそこの田畔に立寄り、其繊枝を手折り、笠の端に挿み、武中栗橋駅愛弟梅沢氏素人子が窓外に刺す。

加舎白雄「移柳の文」

 宝暦8年(1758年)、梅田徳雨は出羽三山・山寺・松島に遊ぶ。

   歌仙
栗橋連

逃水の先もふさける時雨哉
 歌鳥

 野飼の顔の迷ふ艸枯
 素人

絵修行は助言の墨を薄して
 蓬戸


 宝暦13年(1763年)、『松島游記』(徳雨編)刊。

 明和2年(1765年)9月11日、白井鳥酔は輕羽法師と雨月と共に常陸の旅に出る。13日、素人亭に立ち寄っている。

十三日 栗橋驛の信友素人亭に例の粟餅をねだり、歸路を約して出て、古河城北龍溪山永井禪刹に行嚢を置く。


 明和2年(1765年)10月5日、鳥酔は水戸の帰りに素人を訪れている。

   積る雪柳の形を定めけり
   鳥醉

   氷る鏡に岸の白鷺
   素人

   案内は里に端折らぬ翁にて
   歌朝


素人の句

鶯や異々なもの声の引


けふ雪の白きをつみてわかな哉


筬売の畔にまよふや桃の花


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