俳 人
井村祖風
岡崎城の本多忠寛(俳人三秀亭李喬)と親交があり、その縁で池鯉鮒宿の旅籠山吹屋の跡を継いだ。 |
延享元年(1744年)、江戸に生まれる。 明和5年(1768年)、深谷の俳人南柳亭素山は「菊図坊祖英塚」を建立。 |
観音堂 深谷にあり。一本の柳のもとに菊図坊の碑あり。其銘に曰 |
我仏法に入りて風雅をさとり、風雅にもとつきて仏法をさとる。 |
死ぬ事を知つて死ぬ日やとしのくれ | 菊図坊 |
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これを見て |
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知立 |
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さとりてや柳も骨となりにけり | 祖風 |
『木曾路名所図会』(秋里籬島) |
天明8年(1788年)3月4日、祖風は伊賀市上野の愛染院に詣で、故郷塚を拝している。 寛政5年(1793年)、芭蕉の句碑を建立。 |
紫陽花のついに物うく散る日哉 百とせの旅寢ハ遠く 今降雨は其世もかわらめや 旅にしくれて寝覚ハ爰かしるし塚 散雲の時雨は遠し冬の月 |