俳 人

三浦柴居
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 相州田島の人、三浦伴蔵。初め鳥酔門下の乙草庵柴居に師事。前号寛眠。別号栞坊。春暁庵。西奴。鴫立庵七世庵主。在庵1年2ヵ月。

 明和3年(1766年)4月10日、千杏没。

百草もはかなし薺の料理種


 天明3年(1783年)、判者の許しを得て春暁庵柴居と改号。『安佐与母岐』

 天明4年(1784年)11月27日、碓花坊也寥は大光寺で没。

みちのくの空たよりなや霜の声
   白雄

 尺牘寒し図南なる人
   春鴻

みだればこ菴にとしの埃見て
   柴居

 あまくちねづみあとなかりけり
   古慊

 天明8年(1788年)4月9日から1週間、加舎白雄は海晏寺で芭蕉百回忌繰り上げ法要を行う。

海晏禅寺


三浦柴居も法要に参加している。

 寛政5年(1793年)8月12日、鴫立庵六世庵主西奴没。柴居は鴫立庵七世庵主となる。

寛政6年(1794年)10月18日、没。

文化3年(1806年)、柴居の十三回忌に『頓写のあと』刊。十時庵道彦序。

鴫立庵に柴居の句碑がある。



夜をひと夜おもへハなかし松の霜

柴居の句

霜寒みくだら野末の曲突のあと


眠るにやはるの小川のひやし馬

   塔の沢にて

はや川のみかさ見にいざ皐月雨


差捨しまぶしに霧の雫かな

   艸庵衾にかふる酒なし

薄ぶすま菊焚て客をとめてけり

風の柳やなぎも花のあるものを

蜀魂(ほととぎす)晦日より後夜の鐘聞し

たそがれや市に印地のみだれうち


ちりちらぬ月の夜桜ひとへなる


さか手出す茶はのちむかし夕時雨

(くつ)かけし柳は穢多がかまへかな

ひし咲や日にむかふ池のむもれ杉

かれ松やものゝ香もなき秋の雨


桃の宴日につぐ夜のたてあかし


雨の雁春の心もくぢくかな


朝風ややなぎを見ればさかさ川


をろをろと山鳥鳴て梅の散る


霜の原二人となりてなかめけり


蝶見へて末黒の芒うごくなり


夜をひと夜思へは長し松の霜


趣の心にいりぬあきのやま


門川や猪あけに出る朧月


初夢を見る氣になれは鼠啼


なの花や薺のはなは戀をもつ


蝶の凍(いて)菜虫の春にかへらずも


苧売買命難而見ゆる也


きくからに撰(えらみ)すてべき虫もなし


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