俳 人

藤井晋流
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須賀川の豪商藤井惣右衛門の娘婿。其角の弟子。

 延宝8年(1680年)、上州小泉村の近藤外記の子として生まれる。

 元文3年(1738年)4月、山崎北華は『奥の細道』の足跡をたどり、須賀川の晋流を訪ねている。

須賀川の驛晋流といふ人を尋ね宿す。此あるじは藤井氏にして。晋子の門人なり。正風を守り。風雅に富る人なり。彼是と物語し。翌日も草臥を休らふ。あるじに珍物あり。先師翁の眞跡奥の細道。其外翁の自畫賛。翁獨吟歌仙。曾良が筆。或は貞徳老人の筆。晋子自畫賛。杉風筆の翁の像。其他古人の墨跡。多く取出て見せられ。淺からぬもてなしなり。

   言の葉に休み過すや若葉影

と云て。岩瀬の森を過ぎて。淺香の沼に着く。


明て笈肩にせんとすれば。須賀川まで肩休めよとて。人に負せ送らる。是より暑に向へばとて團扇を餞し給ふ。

   何よりぞ暑さに風のもらひもの

云て暇乞出で。須賀川晋流の許に到る。

 元文5年(1740年)、榎本馬州は『奥の細道』の跡を辿る旅の途上、晋流亭を訪ねているようである。『奥羽笠』

寛保元年(1741年)10月12日、時雨塚を建立。



風羅坊芭蕉翁

寶晋齋其角翁

右側面に晋流の句が刻まれている。

粟津より松風とゞくしぐれ哉

宝暦11年(1761年)11月25日、82歳で没。

晋流の句

末枯やさらでも庵のつるし柿

引かぶる蒲團短し鴫のこゑ


氣ちがひの直道戻る時雨かな


布施かろき袖の余りや蕗の薹

   雪中庵咄に往時をおもふ

おとろかぬ木葉の常を風のうへ


いかにしても足らぬは命ほとゝきす


夏の夜の持こたえなし峯の松


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