俳 人

市川市月

市川長三郎。京都の桜井梅室の門弟。玄香庵。

 文化元年(1804年)、江原村(深谷市江原)に生まれる。

 明治14年(1881年)3月、新島徳翁は芭蕉の句碑を建立。



四方より花吹入れて鳰の波

碑の裏に玄香庵市月の書で句が刻まれている。

夜の雨の晴る匂ひや花の雲

龜も甲顕す岸の若草

 明治15年(1882年)3月、其山庵武雄は芭蕉の句碑を建立。玄香庵市月書。



起よ起よ我友にせむぬる胡蝶

 明治17年(1884年)、江原の摩利支天堂に芭蕉の句碑を建立。



寒菊や粉糠のかゝる臼の端

碑面左右に市川市月の句が刻まれている。

退く雲と花ともつるゝ夜明かな
とちらから今日は來るやら不如歸
天照らす夜は名月の秋津島
老と見て讓る人あり雪の道

明治20年(1887年)6月24日、84歳で没。

市月の句

夜もすがら蚊をうツ音や鶏の觜


寐ところのかはるも嬉しはるの宵


月夜よし夜よしと見ゆる梅の花


ミねつくる雲や湖水の底明り


泰室は市川市月の孫。

大正8年(1919年)10月12日、深谷市の楡山神社に芭蕉の句碑を再建。泰室筆。



冬こもり又寄りそはむ此はしら

碑の裏に泰室の句も刻まれている。

冬空やは白雲音は何

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