時雨の会式は、古よりとしとし相続して、ちかくは蝶夢師こゝろつくしのいさをしありけるとそ。その門に沂風法師・重厚比丘、こゝろをつきて影堂を守り、厚か弟子祐昌坊もまたその跡を継来れと、いつまて草のいつまてもいきとせいけるにはあらねは、みな仏土の人とはなりけらし。其あと此四とせはかりのうちはうち絶て住ふ人なきを、三井の麓なる鼓月居のあるし千影ぬし、志厚くして、年々月々の俳諧のあるしとなりて怠りあらさりける。そかなかに、おのれ遠く出羽の州より出きたりて、いかなる因縁にや、ことしの夏のころより当寺の譲をうけて、けふの会式をつとむることになりぬ。千影ぬしはもとより、蝶夢師の弟子たり。我又、鼓月居を師とたのみぬれは、此寺に蝶夢師の由縁尽すして、おこかましくも俳諧を相続することの冥加ありけり
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鶯の子も啼つゝくしくれかな
| 仙風
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文政6年(1823年)9月15日、工藤学内・島田仙風連中「月見塚」建立。
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芭蕉翁
救蒙老利遠離飛屠越谷周武頭奇美閑那
クモヲリヲリヒトヲヤスムルツキミカナ
『諸国翁墳記』に「月見塚 羽州秋田三倉岬ニアリ 仙風連中建之」とある。
滋賀県大津市の芭蕉道統歴代句碑に仙風の句がある。

鴬の子も啼きつゞく時雨かな
仙風の句
戸の口へ下(さが)りて来るや夕雲雀
鶴立し跡の七日も萩の花
雨のふるばかりになりぬ春のやま
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