俳 人

島田仙風
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森岳の人。大津義仲寺の住職となる。芭蕉道統六世。

出羽秋田
十月の水のうえほと日和かな
   仙風


出羽森岡
時雨ねは淋しかりけり粟津の夜
   仙風


 文化7年(1810年)、義仲寺の住職となり、時雨の会式を務める。

時雨の会式は、古よりとしとし相続して、ちかくは蝶夢師こゝろつくしのいさをしありけるとそ。その門に沂風法師・重厚比丘、こゝろをつきて影堂を守り、厚か弟子祐昌坊もまたその跡を継来れと、いつまて草のいつまてもいきとせいけるにはあらねは、みな仏土の人とはなりけらし。其あと此四とせはかりのうちはうち絶て住ふ人なきを、三井の麓なる鼓月居のあるし千影ぬし、志厚くして、年々月々の俳諧のあるしとなりて怠りあらさりける。そかなかに、おのれ遠く出羽の州より出きたりて、いかなる因縁にや、ことしの夏のころより当寺の譲をうけて、けふの会式をつとむることになりぬ。千影ぬしはもとより、蝶夢師の弟子たり。我又、鼓月居を師とたのみぬれは、此寺に蝶夢師の由縁尽すして、おこかましくも俳諧を相続することの冥加ありけり

鶯の子も啼つゝくしくれかな
   仙風


 文政6年(1823年)9月15日、工藤学内・島田仙風連中「月見塚」建立。



芭蕉翁

救蒙老利遠離飛屠越谷周武頭奇美閑那
クモヲリヲリヒトヲヤスムルツキミカナ

『諸国翁墳記』に「月見塚 羽州秋田三倉岬アリ 仙風連中建之」とある。

滋賀県大津市の芭蕉道統歴代句碑に仙風の句がある。



鴬の子も啼きつゞく時雨かな

仙風の句

戸の口へ下(さが)りて来るや夕雲雀


鶴立し跡の七日も萩の花


雨のふるばかりになりぬ春のやま


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