俳 人

安斎仙鳥
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 鎌倉郡坂ノ下村の人。鎌倉大町の小坂米社に俳諧を学ぶ。のち鴫立庵六世庵主西奴に師事。西奴没後、橋本泰里に学ぶ。無事庵。泰里の姉古友尼と親しかった。

可都里『名録帖』に「仙鳥同鎌倉坂本安斎三左衛門母」とある。

 天明8年(1788年)4月17日、蝶夢は橋本泰里の案内で仙鳥宅に泊まっている。

 星の井の辺り、坂下三左衛門とて此辺の剛家と見えしも、泰里庵主の文の案内によりて留らる。家主の老女は、仙鳥といふ風流の人なり。けふや見残せし所々まめやかに案内ありて、再古跡を見廻る。夜に入て此家に泊る。


 都岡崎より蝶夢法師の我草扉を尋たまひけるに

花の後葉にも都の風薫る


 寛政5年(1793年)8月12日、西奴没。泰里に学ぶ。

 享和元年(1801年)4月、古友尼を訪ねている。

享和2年(1802年)4月6日、没。

卯の花にききそこなはじほととぎす

 享和2年(1802年)5月、仙鳥の弟は追悼句集『卯の花くもり』刊行。河上庵泰里序。

仙鳥の句

片そぎや木の葉ちりうせてとがとがし


涼しさや夫婦蓙織片家陰


短夜に稗蒸ひまの夢もかな


五月雨や根こきに紫蘇を提し


麦の穂に霧こそ通へほとゝきす


庭も野もおなし朝日や雉子の声


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