北村季吟に俳諧を学ぶ。通称藤原市郎右衛門。名古屋札の辻で数珠商を営む。別号月空居士。 |
露川 同本町ナゴヤ傳馬丁下ル所藤原市郎右衛門、商家ニ生ル伊賀國伊賀郡鷹山村ノ産、法名月窓居士ト号ス。國府氏來書、成瀬氏來書
『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿) |
寛文元年(1661年)、伊賀友生(三重県伊賀市)に生まれる。 元禄4年(1691年) 、芭蕉に入門。 |
おなじ冬の行脚なるべし。はじめて此叟に逢へるとて |
奥底もなくて冬木の梢かな | 露川 |
小春に首の動くみのむし | 翁 |
『笈日記』(尾張部) |
元禄6年(1693年)10月、『流川集』(露川編)刊。丈草序。 元禄7年(1694年)5月25日、芭蕉は露川に送られて名古屋から佐屋の素覧亭を訪れた。 |
隠士山田氏の亭にとゞめられて | |||||||||||||||||||||||||||||||
水鶏啼と人のいへばや佐屋泊 | ばせを |
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苗の雫を舟になげ込 | 露川 |
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朝風にむかふ合羽を吹たてゝ | 素覧 |
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追手のうちへ走る生もの | 翁 |
『笈日記』(尾張部) |
元禄12年(1699年)、支考は名古屋を訪れ露川と歌仙。 |
名古屋 |
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麥からの笛や布袋の夕涼み | 露川 |
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臍を氣遣ふ六月の雲 | 支考 |
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元禄16年(1703年)10月22日、涼菟は北国行脚の帰途、露川と共に千代倉家に泊る。 |
十月廿二日 晴天 伊勢団友、なごや露川、如瓶被参、何れも泊り。はいかい歌仙出来ル。 十月廿三日 少々時雨 露川、如瓶昼比帰ル。
『千代倉家日記抄』(知足日記) |
宝永元年(1704年)9月10日、去来没。 |
なき人のこゝろを爰にちる柳 |
宝永3年(1706年)、46歳で剃髪し、空居庵を結ぶ。 正徳3年(1713年)、奥州桑折で俳人佐藤馬耳に招かれ欖翠軒を訪れている。 享保元年(1716年)、露川は門人燕説を伴って西国を行脚。 享保元年(1716年)、去来十三回忌。 |
祭 文 鳥十方に飛ちれとも古栖を忘さるをもつて本情とす 洛の去來子は元此國の産にして行かふ事適ならさりし 今既小車の月日めくりて十三周とはなりぬ 一生先師の守を放さす不易に居れとも塵埃をかふらす流行すれとも大網をきらさす 其餘風崎水にこほれて各追福の一牒を牌前にそなへて霊魂を祭る 野叟数百里を隔つといへとも施行の幸あつて此結縁に逢事を悦ひ其諸生に其事をしめして一花を捧て再拝再拝 |
ヲハリ 露川居士 |
堅固なる所手向よ菊の花 |
![]() 水鶏鳴と人乃云へ者や佐屋泊 寛保3年(1743年)8月23日、83歳で没。 「水鶏塚」に辞世の句碑がある。 ![]() 秋を余所にまつや十帰千かへり 建福寺に露川の門人燕説の墓があるそうだ。 露川の句
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