俳 人

半場里丸
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梅丸門下の俳人。梅丸は俳僧日藻上人。平山梅人の第一園を継承。

 宝暦6年(1756年)、上総の夷隅郡行川村(現匝瑳市)に生まれる。

 寛政2年(1790年)、下総吉岡の木啄庵二世既酔を訪ねている。

 寛政2年(1790年)、『名れむ花』(錦水編)刊。

 文化7年(1810年)2月16日、半場里丸を随斎に迎えて俳諧興行。

野ゝ宮の風よけ椿咲にけり
   里丸
小家かりてもかすむ此ころ
   成美
餌袋に鶴の春辺もおしまれて
   幽嘯
垢しむ迄と旅の衣手
   丸
有明の淋しき榎又あれな
   一茶
舟板つめはこほろぎの来る
   嘯
      (※「こほろぎ」=「虫」+「車」)


 文化10年(1813年)、平山梅人の第一園を継承。

 文化14年(1817年)正月、金令舎で興行。

   文化十四年正月於金令舎興行

墨付た小僧の皃も松過し
みち彦

 わさとめかして東風かへす塵
 里丸


 文政元年(1818年)5月、里丸は江戸に出て成蹊と会い、身延山詣でに出立。『身延詣諸家染筆帖』

 文政元年(1818年)6月、里丸は素檗亭で歌仙。

   歌仙

信州上諏訪 素檗亭興行

郭公二ッ并はゝ暑からめ
   素檗

 あやめ見に行花の雨間
   里丸

 文政元年(1818年)7月17日、里丸は草津の雲嶺庵で歌仙。

   俳諧之連歌

上州草津温泉雲嶺庵興行

そはそはと七夕栄のする在所
   鷺白

 残る暑さをかくす薄月
   里丸

 文政2年(1819年)8月、田喜庵で金令舎興行の次韻。

   文政二年八月於田喜庵次韻

痩鹿のうしろ見てやる山の端に
 里丸

 草も刈らせぬ樋の口の土
 護物


 文政4年(1821年)、『雪のかつら』(里丸編)。採荼庵萬里、序。

 文政8年(1825年)10月12日、江戸の田喜庵で蕉雨、護物と脇起こり俳諧を巻く。

 文政9年(1826年)10月12日、芭蕉の百三十三回忌で、いすみ市の清水寺に芭蕉の句碑を建立。里丸72歳の時である。



こからしに岩吹き尖る杉間哉

同年3月、記念集『杉間集』刊。

『里丸句稿』

天保元年(1830年)、76歳で没。

里丸の句

諂ハぬ形りを音に鳴うつららかな


朝霧や人声深き大井がわ(は)


小鼓の遠音も華の曇りかな


ゆるく時散る歟朧に松のはな


野の宮の風除つばき咲にけり


はね炭や恨む半に君か膝

野の宮の風除け椿さきにけり


藻の花やありたけ伸す馬の首


鵙なくや筑波をまたぐ日和虹


野の宮の風除椿さきにけり


朝の日の嬉しくなるや紫苑さく


何の木の帳を降出す初しぐれ


雲となり不二となり又霞けり


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