宝暦3年(1753年)、中藤村(武蔵村山市)の波多野家に生まれ、所沢の三上家に嫁いだ。夫の三上半次郎は俳号一巣、夫妻は雪中庵三世大島蓼太門下。
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天保4年(1833年)、榎戸村の玉芝(横田氏宣)を訪ねた。
鴻巣市吹上町の元荒川沿いに里恵の歌碑がある。

幾とせもかはらぬ松の色そへて
古々路のままにおくる月かげ
俳諧だけでなく和歌もよくした人であったようだ。
天保8年(1837年)9月3日、85歳で没。
薬王寺に墓がある。
薬王寺に三上里恵の句碑がある。

むさしのにらちなく老し柳かな
里恵の句
寝た人のありとも見えず笘(とま)の霜
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