文化9年(1812年)4月3日は花嬌の三回忌。16日、花嬌の弟砂明もやってきた。砂明は24日まで滞在。
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[十]六 晴 砂明上人来
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[廿]四 朝雨 陰 砂明上人帰
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『七番日記』(文化9年4月) |
十六日 晴 砂明上人入来
卯の花や夜のう月も晴れ晴れし 砂明
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文化11年(1814年)10月7日、一茶は織本家から金谷へ。
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七 晴 金谷ニ入
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九 晴 谷(金)谷ニ入
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『七番日記』(文化11年10月) |
文化12年(1815年)11月23日、一茶は木更津から富津に入り、砂明に逢っている。
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[廿]二 晴 木皿ツ(更津)ニ入
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[廿]三 晴 フツニ入 逢砂明
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『七番日記』(文化12年11月) |
一茶が砂明に逢った最後の記録である。
文化14年(1817年)4月12日、砂明から南鐐一片が送られてきた。
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十二 陰 昼ヨリ雨 砂明ヨリ南[鐐]一片来
『七番日記』(文化14年4月) |
同年6月27日、一茶は江戸を立つ。以後、江戸に出ることはなかった。
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砂明の句
おてらわかしよとやまふいははな
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はさゑともみやならぬと高くうた
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ひ、麥つくも鄙のむかしぶりとや
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夕すゞみ蛙まじりの蟹の足
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菊の香や在家もはやく灯のとぼる
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我庵は茶にも酒にもさくらかな
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あり明やことしも活て青簾
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出代りのうしろ姿や馬も嘶く
菜の花や釣瓶の竿になく烏
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