俳 人

砂 明
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女流俳人織本花嬌の弟。

寛政6年(1794年)、砂明(さみょう)華蔵院の二一世住職となった。

金華山華蔵院


華蔵院に小林一茶真跡の掛け軸が2本あるそうだ。

享和3年(1803年)6月6日、一茶は金谷に入る。

   六日 晴 富津より佐貫通り金谷に入
   八日 晴 金谷入

『享和句帖』(3年6月)

一茶が金谷を訪れた最初の記録である。

同年10月20日、一茶は布川から金谷に入る。

   廿日 曇 金谷に入

我上にふりし時雨や上総山

『享和句帖』(3年10月)

上総山は鋸山であろう。

一茶は金谷で華蔵院に泊まったこともあるだろう。

十一月卅日出
一書一通 金谷野竹 砂明 児石入 かいのや宗三郎殿へ出


   [十]九 金谷ニ入 時々雨
   [廿]四 曇 小雨 夜大雨 金谷ニ入

『七番日記』(文化8年6月)

 文化9年(1812年)4月3日は花嬌の三回忌。16日、花嬌の弟砂明もやってきた。砂明は24日まで滞在。

   [十]六 晴 砂明上人来
   [廿]四 朝雨 陰 砂明上人帰

『七番日記』(文化9年4月)

   十六日 晴 砂明上人入来

卯の花や夜のう月も晴れ晴れし   砂明


 文化11年(1814年)10月7日、一茶は織本家から金谷へ。

   七 晴 金谷ニ入
   九 晴 谷(金)谷ニ入

『七番日記』(文化11年10月)

 文化12年(1815年)11月23日、一茶は木更津から富津に入り、砂明に逢っている。

   [廿]二 晴 木皿ツ(更津)ニ入
   [廿]三 晴 フツニ入 逢砂明

『七番日記』(文化12年11月)

一茶が砂明に逢った最後の記録である。

 文化14年(1817年)4月12日、砂明から南鐐一片が送られてきた。

   十二 陰 昼ヨリ雨 砂明ヨリ南[鐐]一片来

『七番日記』(文化14年4月)

 同年6月27日、一茶は江戸を立つ。以後、江戸に出ることはなかった。

砂明の句

百とせの華や芭蕉にたびら雪


   おてらわかしよとやまふいははな
   はさゑともみやならぬと高くうた
   ひ、麥つくも鄙のむかしぶりとや

夕すゞみ蛙まじりの蟹の足


菊の香や在家もはやく灯のとぼる


我庵は茶にも酒にもさくらかな

あり明やことしも活て青簾


出代りのうしろ姿や馬も嘶く


菜の花や釣瓶の竿になく烏


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