蕉 門

関屋沙明

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筑前黒崎の商人。富田甚左ヱ門。砂明。関屋は屋号。

 元禄9年(1696年)8月、芭蕉の三回忌に久芳水颯と関屋沙明は浄蓮寺に翁塚を建立。



芭蕉翁

 元禄10年(1697年)冬、朱拙は黒崎の沙明を訪れる。

 元禄11年(1698年)6月、去来は長崎へ旅に出る。7月7日、黒崎の沙明亭に泊まる。

   七夕は黒崎、沙明にて

うちつけに星待つ顔や浦の宿


 元禄11年(1698年)8月5日、各務支考は沙明亭を訪れている。

五日

黒崎、沙明亭にいたる。けふは殊さらに雨に降れ、駕籠にゆられて、人こゝちあらずまどひふして、あるじだにしらぬやどりなりしが、次の朝は心地つきて侍り。さてもはかるまじき世や。三とせばかりまちかけたる人のかくわづらひていりき給へるを、かほだに見ずやあらんと、我友水颯などいひていにけるといふをきけば、あるじの沙明と雲鈴にぞありける。さりや吾旅だちし日より、この所に此人々ありとたのみたるは、かゝるあはれを見られんと云物のおしえにや侍らん。


 宝永2年(1705年)、魯九は長崎に旅立つ。帰途、黒崎を訪れている。

   仝 黒崎 水颯亭

カイトツテ目につく物や浦の月
 魯九

西瓜喰ふ空や今宵の天の川
 関屋甚左ヱ門
 沙明

鵙鳴や雲陰さむき穐の原
 久芳忠左ヱ門
 水颯


 享保元年(1716年)、露川は門人燕説を伴って西国を行脚。水颯と沙明を訪ねている。

   筑前の國黒崎に着。水颯・砂明の二子に
   野叟が下向を待れて、一昔の物語に數
   百里の勞を消す。

蚊屋廣しいでや野の夢山の夢
   居士

此宿や槇の霖雨の乾く迄
   燕説


享保12年(1727年)6月15日、沙明没。

浄蓮寺に墓がある。

沙明の句

鳴さかる雲雀や雨のたはね降

雜菊のはたかる處結れ鳧

舟よせてになひの水に萩(※草冠に「穐」)の花


鶯や楠の千枝にとりかゝり

爐ふさぎや鉢にもえたつ小きりしま


うくひすよ竹卓散にほり立屋

(はや)釣の手玉とるなり一さかり

とんほうのむれ吹ほとく秋の風

暮かたはうちなやされし暑さ哉

はやものに殘るあつさやちらちら穂

   水札と更るまて語りて

出ていなはあとをほそめよ雪の門


ちる花に眠をのせて谷わたし

夕立は降くつしても日和哉



山出しの庭へはねたる榾の尻


くせものやとんとないだる宵の雪

雪雲のとり放したる月夜哉

行くとしや木の葉混りのくだけ炭


行としや木の葉まじりのくだけ炭

雨風の根をたえしてや雲のみね


早物に殘るあつさやてらてら穂

雪雲のとり放したる月夜かな

とやかくと身をあやつりて秋の風


雪雲のとつとはなしたる月夜哉


松虫の啼夜は松のにほひ哉


藪ひとつ蹴れはそこらの花見かな


火燵からおもへは遠し硯紙


はつ雪や菴に付たるひとり扶持


枝々にひかれてくらす柳哉


折々にひかれて暮す柳かな


晴るゝ間もあるか五月の此別れ

炭竈や岩間に燃る馬の沓

大根の二葉裂きけり比良下風


巾着の時計せハしき花見かな


芋の葉やおのれが秋をゆり飜す


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