俳 人

坂部壺中
indexにもどる

林崎の素封家坂部九内。各務支考の門人。

諸国獅子門の俳人名録『俳人名録』に「壺中 坂辺九内」とある。

寛延年間(1748〜1750)に吟里・壷中は立石寺に「せみ塚」を建立。



 台石に壷中・吟里をはじめ、18名の俳号が刻まれている。天童の浦夕・池青の名もある。

記念集『蝉塚集』(吟里・壷中編)刊行。

宝暦元年(1751年)、柳下斎風草序。

いにし年ならん、最上林崎駅の壺中といふ俳士、此山中に翁の塚を築き、此短冊を埋て、蝉塚と名づく。

蓑笠庵梨一『奥細道菅菰抄』

 宝暦5年(1755年)4月25日、南嶺庵梅至は林崎壺中亭を訪れている。

廿六日林崎壺中亭に笠を落此主の庭上に文星観を移され

泉水に影や合せて鑑塔

 挑るまての細き螢火
   壺中


 宝暦10年(1760年)、山形の俳人雨聲庵山皓は壺中を訪ねている。

林崎壺中亭の閑窓を問ひて、三年あまりの談笑に折からの夏の月の更るを惜しむ

みじか夜や咄しは翌日へあまるほど
   山皓

 蚊やりもてなす迄の隠れ家
   壺中


 安永2年(1773年)、不二庵風五は壺中の三回忌で句を詠んでいる。

   壺中師三回忌

さてもさてもとつまむや塚の苔の花

『水蛙集』(三編)

 天明5年(1785年)、不二庵風五は壺中の墓を訪ねている。

   林崎村を過て壺中老人の墳墓を尋ぬ

露深き塚にしほりぬ汗拭う

『水蛙集』(五編)

「せみ塚」の左に「風草居士」「壷中居士」の碑がある。


尾花沢の養泉寺に「壷中居士」碑があるそうだ。

壺中の句

最上川や千里やしのふ菊の露


草の戸やそれから青む薺粥


俳 人に戻る