俳 人

十竹窓柴雨

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享保9年(1724年)生まれ、本名宮本弥八郎。戸倉村で酒造業を営んでいた。

可都里『名録帖』に「柴雨 宮本弥八」とある。

 延享3年(1746年)5月、白井鳥酔来信。戸倉の無量寿仏庵という寺に滞在した。

菊百合を両尊にしてたち葵   鳥酔

戸倉では十竹窓柴雨が入門。

 延享4年(1747年)4月、鳥酔は再び来信。5月4日、鳥酔が信州を去るにあたり、柴雨は姨捨まで見送った。

夏山や我も捨らるゝ石の連
   柴雨

みじか夜や田毎に残る笠の影
   鳥酔

 宝暦8年(1758年)から明和2年(1765年)まで下戸倉村の名主をつとめた。

 明和4年(1767年)、白雄は柴雨を訪問。柴雨の隣に住む酒造家坂井篤志が鳥酔門下に入る。

坂井銘醸株式会社


北国街道下戸倉宿で400年にわたり代々酒造り営んできた「坂井醸造店」。

翌年、鳥酔から鳥奴の号を与えられる。

 明和5年(1768年)8月、白雄は戸倉を訪れる。この時、宮本虎杖が白雄に入門している。

柴雨宅で句会。

 明和8年(1771年)1月、『田毎の春』白雄自序、柴雨跋。

 明和8年(1771年)4月、白雄は柴雨と虎杖を伴い関川の里を越えて北陸行脚に出発。柴雨は途中で戸倉に帰る。

安永4年(1775年)、柴雨没。

柴雨の句

神鏡へ人と並ふや梅の花


牛の子もつい寝せ付る砧かな


月澄や照あふ塚のいや高き

くらき夜の橋にわかれてちどり哉


蕣や見とれし人のおもて痩


畑中に川瀬うきけり夕霞


はる雨や杉の濡たる森の中


やことなき児に逢けり山さくら


掌に塩辛寒しむめの花


雪舞やさくれのかはる車道


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