俳 人
十竹窓柴雨
延享3年(1746年)5月、白井鳥酔来信。戸倉の無量寿仏庵という寺に滞在した。 |
延享4年(1747年)4月、鳥酔は再び来信。5月4日、鳥酔が信州を去るにあたり、柴雨は姨捨まで見送った。 |
夏山や我も捨らるゝ石の連 | 柴雨 |
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みじか夜や田毎に残る笠の影 | 鳥酔 |
宝暦8年(1758年)から明和2年(1765年)まで下戸倉村の名主をつとめた。 明和4年(1767年)、白雄は柴雨を訪問。柴雨の隣に住む酒造家坂井篤志が鳥酔門下に入る。 |
明和5年(1768年)8月、白雄は戸倉を訪れる。この時、宮本虎杖が白雄に入門している。 |
明和8年(1771年)1月、『田毎の春』。白雄自序、柴雨跋。 明和8年(1771年)4月、白雄は柴雨と虎杖を伴い関川の里を越えて北陸行脚に出発。柴雨は途中で戸倉に帰る。 |
神鏡へ人と並ふや梅の花 牛の子もつい寝せ付る砧かな 月澄や照あふ塚のいや高き くらき夜の橋にわかれてちどり哉 蕣や見とれし人のおもて痩 畑中に川瀬うきけり夕霞 はる雨や杉の濡たる森の中 やことなき児に逢けり山さくら 掌に塩辛寒しむめの花 雪舞やさくれのかはる車道 |