俳 書
『嵯峨日記』
元禄4年(1691年)4月18日から5月4日まで芭蕉が嵯峨にあった去来の落柿舎に滞在した折の日記。芭蕉48歳の時である。 |
元禄四辛未卯月十八日、嵯峨にあそびて去来ガ落柿舎に到。凡兆共ニ来りて、暮に及て京ニ歸る。 |
十九日 午半、臨川寺ニ詣。大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾〔の〕里につヾけり。虚空蔵に詣ル人往かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷と云有。都(すべ)て上下の嵯峨ニ三所有、いづれか慥(たしか)ならむ。彼仲国ガ駒をとめたる処とて、駒留の橋と云此あたりに侍れバ、暫是によるべきにや。墓ハ三間屋の隣、薮の内にあり。しるしニ桜を植たり。かしこくも錦繍綾羅の上に起臥して、終籔中に塵あくたとなれり。昭君村の柳、普(巫)女廟の花の昔もおもひやらる。 うきふしや竹の子となる人の果 嵐山藪の茂りや風の筋 |
廿日 北嵯峨の祭見むと、羽紅尼来ル。 去来京より来ル。途中の吟とて語る。 つかみあふ子共の長(たけ)や麦畠 |
落柿舎は昔のあるじの作れるまゝにして、處々頽破ス。中々に作みがゝれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とヾまれ。彫せし梁、畫ル壁も風に破れ、雨にぬれて、奇石怪松も葎の下にかくれたるニ、竹縁の前に柚の木一もと、花芳しければ、 柚の花や昔しのばん料理の間 ほとゝぎす大竹藪をもる月夜 尼羽紅 又やこん覆盆子(いちご)あからめさがの山 去来兄の室より、菓子・調菜の物など送らる。 今宵は羽紅夫婦をとゞめて、蚊帳一はりに上下五人挙リ伏たれバ、夜もいねがたうて、夜半過ぎよりをのをの起出て、昼の菓子・盃など取出て暁ちかきまではなし明ス。去年の夏、凡兆が宅に伏(臥)したるに、二畳の蚊屋に四国の人伏(臥)たり。おもふ事よつにして夢もまた四種と書捨たる事共など、云出してわらひぬ。明れバ羽紅・凡兆京に帰る。去来猶とゞまる。 |
朝の間雨降。けふハは人もなくさびしき儘にむだ書してあそぶ。其ことば、「喪に居る者ハ悲をあるじとし、酒を飮ものは楽〔を〕あるじとす。」 「さびしさなくばうからまし」と西上人のよミ侍るは、さびしさをあるじなるべし。又よめる、 山里にこハ又誰をよぶこ鳥独すまむとおもひしものを 獨住ほどおもしろきはなし。長嘯隠士の曰、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と。素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又、 うき我をさびしがらせよかんこ鳥 とハ、ある寺に独居て云し句なり。 暮方去来より消息ス。 乙州ガ武江より帰り侍るとて、旧友・門人の消息共あまた届。其内曲水状ニ、予ガ住捨し芭蕉庵の旧き跡尋て、宗波に逢由。 昔誰小鍋洗しすみれ艸 又いふ。 「我が住所、弓杖二長(ふたたけ)計にして楓一本より外は青き色を見ず」と書て、 若楓茶色になるも一盛 嵐雪が文ニ 狗背(ぜんまい)の塵にえらるゝ蕨哉 出替りや稚ごゝろに物哀 其外の文共、哀なる事、なつかしき事のみ多し。 |
手をうてば木魂に明る夏の月 麦の穗や泪に染て啼雲雀 暮に及て去来京より来ル。 膳所昌房ヨリ消息。 大津尚白より消息有。 凡兆来ル。堅田本福寺訪テ其(夜)泊。 凡兆京に帰ル。 |
廿五日 千那大津ニ歸。 史邦・丈艸被訪。 |
芽出しより二葉に茂る柿の実 | 史邦 |
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途中吟 |
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杜宇啼や榎も梅櫻 | 丈艸 |
乙州来りて武江の咄。并燭五分俳諧一巻。其内ニ、 |
半俗の膏薬入ハ懐に |
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臼井の峠馬ぞかしこき | 其角 |
廿六日 |
芽出しより二葉に茂る柿ノ実 | 史邦 |
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畠の塵にかゝる卯の花 | 蕉 |
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蝸牛頼母しげなき角振て | 去 |
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人の汲間を釣瓶待也 | 丈 |
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有明に三度飛脚の行哉らん | 乙 |
廿七日 人不来、終日得閑。 廿八日 夢に杜國が事をいひ出して、悌泣して覚ム。 誠に此ものを夢見ること、所謂念夢也。我に志深く伊陽旧里迄したひ来りて、夜は床を同じう起臥、行脚の労をともにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。ある時はたはぶれ、ある時は悲しび、其志我心裏に染て、忘るゝ事なければなるべし。覚て又袂をしぼる。 |
朔 江州平田明照寺李由被問。 尚白・千那、消息有。 |
竹ノ子や喰残されし後の露 | 李由 |
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頃日の肌着身に付く卯月哉 | 尚白 |
二日 曽良来リテよし野ゝ花を尋て熊野に詣侍るよし。 武江旧友・門人のはな〔し〕、彼是取まぜて談ズ。 |
くま路や分つゝ入ば夏の海 | 曽良 |
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大峯やよしのゝ奥を花の果 |
夕陽にかゝりて大井川に舟をうかべて、嵐山にそふ(う)て戸難瀬(となせ)をのぼる。雨降り出て、暮ニ及て帰る。 |
一、四日 宵に寝ざりける草臥に終日臥。昼より雨降止ム。 明日は落柿舎を出んと名残をしかりければ、奥・口の一間一間を見廻りて、 五月雨や色帋へぎたる壁の跡 |
山家呼子鳥 山ざとに誰を又こはよふこ鳥ひとりのみこそ住すまむとおもふに とふ人も思ひたえたる山里のさびしさなくは住みうからまし |