俳 人

今井柳荘
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善光寺代官。通称磯右衛門。大島蓼太に師事。別号鴎翁。古松亭。

   信善光寺 

柳荘
   今井磯右ヱ門


 寛政6年(1794年)、『水薦苅』(柳荘編)刊。蝶夢序。

 享和元年(1801年)3月26日、井上士朗は江戸から帰る途中で柳荘を訪れた。

三月廿六日古松亭にとゞまりてはなしす。ことしは花の遅き年也。この日ごろこそ花は咲出たれ。をりよくも来れりなど聞へければ、


 享和2年(1802年)12月、伊勢の俳人南江は柳荘を訪ねている。

 文化5年(1808年)6月、多賀庵玄蛙は柳荘を訪れている。

   柳荘子の許に行て

さくまては夕皃の名もなかりけり
   玄蛙

夕立のまた来膳のなかはかな
   柳荘


 文化7年(1810年)春、『物の名』(武曰編)刊。鴎翁序。五芳跋。

   信濃の柳荘耳順賀

よい春に成けり木曽の松さくら


 文化7年(1810年)初夏、『菫草』跋。

文化8年(1811年)10月2日、61歳で没。

   信柳荘追福

月を見に今年も出ばや寒念仏


柳荘の句

面白のはつ神鳴やうめ曇


観月や竹鑓きたふ夜なるへし


夕たちや山わかれせし鷹二つ


散さくら此碑と共に埋れん


汲たての水こほしけり水のうへ


芹売の背戸ぬらしけり夕時雨


うしろより前より淋し冬紅葉


蚊遣草紀の船乗かもて來り


灌仏にわか葉見て来し眼のうつり


蚊遣艸紀の舟乗かもて来たり


蚊やりくさ紀の船のりかもて来たり


   田 家

種池へ鷄落(ち)ぬゆふかすミ


此やうな闇にもちるかきしの梅


よるの雪月は真うへに成にけり


腹あしきものや夏野のたまり水


降雪や夜汐のあとのくらまきれ


江の水鶏宵から雨は降にけり

今朝の雪竹の臥処も見舞たし

はるの夜の月に淋しき芹田哉


今朝の雪竹の伏処も見廻たし


落葉して空の哀はやみにけり


菊の花秋なき年もなかりけり


飯焚の起るまで啼ちどり哉


折うちに馬の遠のく花野哉


誰うゑし背戸のあやめそ秋の風


   江戸よりかへりて

いなか気にならずばあらじけさの秋


海見ればむかふ高なり雪の暮


   九月十三日夜快晴、寿福山にあそぶ

月さらにおもふ隈なし十三夜


春の夜の月に淋しき芹田哉


鶯の腹ふくれけり小春山

鳴神の絶間を登る鵜飼哉


ひとりゐる仏も持ずけさの秋


草枕わすれてをれはほとゝきす


けさの雪竹のふし所も見廻たし


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