俳 人

巒寥松
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江戸両国薬研堀に住み、大島蓼太に俳諧を学ぶ。八朶園。

文化13年(1816年)、『随斎諧話』(成美著)寥松序。包寿跋。

文政11年(1828年)、芭蕉の句碑を建立。八朶老人寥松書。



ものいへは唇寒し秋の風

天保2年(1831年)、『八朶園句纂』(白梅社中編)刊。

天保3年(1832年)閏11月17日、73歳で没。

常在寺に墓がある。


蓼松日鶯居士

門人に鈴木松什がいる。

蓼松の句

結び昆布春のもの迚解安き


名月やなしといはれぬ蛇の足


(うつばり)にかんなもかけず花の春


温泉の山や木履ふみかく秋の風


とりあつめても夕暮よ秋の艸


虚舟(からぶね)の流れあたりぬ白露に


山際や一霜うけて晩稲咲


秋暮ぬ百がものなき痩からだ


頤を風の吹の歟鹿の聲


けふハもう山時鳥とはいはし


秋暮ぬ百がものなき痩からだ


麦打や井戸のあちらの花葵


はつ花におつとり出る田槌かな


いとゞなけ恥かき道具見ぬふりに


何処までも秋をのさばれはな芒


四月のひとしづまりや柏散る


もの知の言はむつかし草の花


氷魚(ひを)取も見へ(え)ず柳の夜となりし


珍重す雪すこし散庭の笹


生鯛の背にのせてやる花柚哉


一昨日のことは覚えぬうめのはな


耳なしの山の梔(くちなし)秋たちぬ


道灌の世も見し鶴かすみだ川


   恋

あはぬ恋しかも男に生れけり


見しと聞ど一日違ひやはつ桜


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